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この国に生まれての記事一覧: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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滋賀イベント前夜

82b7ebba.jpg  滋賀のイベント前日に長浜に泊りました。
 この街は、昔、何度か来たことがあり、
 ひなびた良い雰囲気が好きでした。
 今回訪れると、私がよく来ていた往時とくらべ
 街には新しい風景が見られました。
 古さの中に新しい挑戦があり…、
 それが意外と調和して見えました。
 ケンシロウの巨大フィギアがあったので、
 技をかけてみました。(笑)
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過去にない自由な社会で…?

今の世の中は、とても便利になりました。
路上の子供たちの手
手間ひまかけなくても、
料理や着るものが、お金さえあれば手に入ります。

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「本質」を気づく

f3535e69.jpg   終戦を振り返ると、何故あのような
  戦争への流れになってしまったのか…
  と、今更のように思います。

  過去を振り返り、きちんと捉えてこそ、
  明日があるのだ、と思いまして、
  今日は、この話題を取り上げてみました。

悲劇の歴史は繰り返したくないと、誰も望むところだと思います。
純粋な気持ちを揶揄したり、批判したくはありません。しかし、
本質を捉えることからはじめない限り、そのような思いは、
最初から反故にされてしまっているのも同然なのだと思います。

軍国主義の時代においては、
我が国は、仕組み、組織で縛りを掛けて、
自由な意見が言いにくい環境にありました。

また今となって、
往時ぬけがけをしていた官僚や指導者によって、
戦争という道に引きずられていってしまったという
驚くべき事実の証左も、散見されるようなって来ました。

「本質」を見せないように、見れないように…
させられていた。
そういったことにも気づくべきかもしれません。

と…、このように書いてしまうと言い過ぎでしょうか。
言い過ぎには思わないと思う方は次をお読みください。
 

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この国の先人の目指したもの

昨日はアインシュタインの言葉を紹介させていただきました。
戦前、彼が何を感じて日本を誉めてくださったのか、
その動機や脈略が正確に判るわけではありません。

一方、他の外国人のリーダー達も、戦後、日本の先達たちを、
評価して下さいました。

文字が小さく少々読みにくいですが、
拾い読みでも充分に伝わってくるところがあります。


これは戦争をつうじた政治的なことなので、私は専門外なのですが、
このような言葉に触れると、政治的なメッセージや、言葉そのものを超えた
この国の潜在的な力と、先人達の偉業・努力を感じます。

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この時期になると思う事

ここ数日、私は大阪で忙しくしています。

一方、普段、ときより、
忙しくしていない時、
ナゼか、有難さで
ただただ涙が出てしまいます。
(困ったもんです)

ここ一週間、
過去において
広島や長崎に原爆が落ちた日がありました。
皆さんは、これをどのように思いますか?

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3丁目の夕日の頃

今日は、昭和40年頃の我が家と、
近所のことを書くことにします。

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言向和す(ことむけやわらす)

何気なしに話した言葉が、
人を傷つけたり、感動させたり、
励ましたり、泣かせたり、
喜ばせたり、笑わせたりと
言葉というものは不思議な働きをします。

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K-DESPAでの出会い

大倉さんと村松幸彦   今日、いよいよ『実践技術コース』が始まりました。

   その前夜、大阪市営の起業家達の集う施設・メビックの
   支援団体であるK-DESPAの交流会に招いて頂きました。
   K-DESPAは、コクヨ社のトップデザイナーを辞され、
   独立起業された大倉氏を中心としたクリエーティブな
   人たちの集まる交流会です。

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日本人の思考。ー人と向き合うこと

わが国では、戦が終われば敵の兵も供養し、
手厚く葬るという行為がありました。

死んだら敵も味方も無いという、
思考回路は日本人の独特な感性だと思います。

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現代人の「普通」を問い直す

私は趣味の一環で、畑をお借りして自家で食べる野菜などを作っています。
なるべく安全な物を口に入れたいので、無農薬で育てています。

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言葉は癒し

私の住んでいる静岡県焼津市は、川をきれいにするという理由で
鯉がたくさんいます。

先日、下校の途中の小学生たちが泳いでいるたくさんの鯉を見て、
「鯉がいる。いっぱい鯉がいる!」と言っていたのです。

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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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