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「言向和す(ことむけやわらす)」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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言向和す(ことむけやわらす)

何気なしに話した言葉が、
人を傷つけたり、感動させたり、
励ましたり、泣かせたり、
喜ばせたり、笑わせたりと
言葉というものは不思議な働きをします。

何気なく会話をしているとき、
言葉の力にまで気づく方は、
少ないのではないでしょうか。

人は十人十色です。
同じ事を聞いていても10人いれば、
10人が同じ解釈はしません。
人の脳はそれぞれに国語辞典が違いますから、
それぞれに解釈が違います。

その事を意識して話さなければなりませんし、
そう意識しながら、他者の言葉を聴かなければ
ならないと思います。

言霊(ことだま)」という言葉をご存知でしょうか。
案外、よく知られていると思います。
日本に古くからある考え方で、
文字通り言葉には霊力があり作用があるということです。

この作用には、大きく2つあります。
1.「言葉に出してしまうと現実になる」ということ、
2.「言葉には、力がある」ということです。

日本人は言霊の存在と作用について、無意識であっても
反射的に、ふと考える事があります。
心の奥底で、そういった感覚を信じているのでしょう。
一度口にしたことは、必ず現実の世界で、
実現してしてしまうということを感じたりします。

それは、逆に起きてはいけない事を
口に出して言ってはいけない。
と思う心理に同調します。

たとえば、縁起でもない事を
軽々しく口に出して言うことを嫌います。

自衛隊は、どう見たって軍隊でありましょうが、
私たちは公然と「日本には軍隊がある」とは言わない。
(逆に外国の報道では「日本の自衛隊」というと
彼らの認識においては意味不明でややこしいので、
「日本の軍隊」という意味に略訳されて報道されるそうです)


我々が自衛隊を「軍隊」と言わないのは、
政治的な意図によるものもあるかもしれませんが、
その一方で、市民の気持ちの根底には、
過去の戦争への思いがあり、
もう2度と戦争を起こしていけない、
と感じているからではないかと思います。

言葉は、力を持っている…
という事を私たちは心の奥で
知っているのです。

また人は、叩かれた痛みよりも、
言葉により傷つけられた事の方が
いつまでも残ります。
言葉は、励ましにもなり、
人の考え方を変えます。
こんなに強い力は、ないと思います。

ここで重要なことは改心です。

言向和す(ことむけやわらす)とは、
改心させることです。
改心とは、相手の心から沸く自発的納得です。
(説得でありません。)

ですから、言向和す為に必要なことは、
言葉を発する時、“愛”の気持ちがないと
相手の心に響きません。

言葉を発する時、心が調和していないと、
言向和す事が出来ないのです。

いくら、正当な主張を述べても、
正論を言っても通じないのはこの為です。

人を診る先生は、身体だけでなく、
心を観ながら言葉に”愛”をもって
仕事をすることが、とても大事です。

今日も、生かしていただきまして有難うございます。
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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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