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私の体験談の記事一覧: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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『アラジンで魔法の整体』と、大阪探索

b8e3357a.jpg 今回、大阪車座の会の為に前日から
大阪に入り大阪の街を散策しました。
スタッフの勧めで「アラジン」という
喫茶店に行き…。そこで落ちあった
大手新聞社の方に施術をしました。

写真をクリックすると、『アラジンで魔法の整体』を行う前の休息時、
気の力で、コーヒーの味の調整をしている写真が出てまいります。

人の手からは、気が出ていますから、「コーヒーよ、マイルドになれ」と念じ、
気を送ると、不思議とコーヒーの味が変わっています。
(感心のある方は、お試しください)

最近の技では、一部、気の活用もしています。
しかし、触らずに施術するような、
いわゆる気功をしているわけではありません。
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北陸にて

 (昨日よりの続き)

特急の停車駅、高岡で下車し、そこから車で一時間弱。
福光という街に行きました。師範の先生の施術所で、
2名の不調者さんの施術を致しました。

3c46678d.jpg  その後、師範の先生の同級生の
 やっておられる居酒屋へ。
 聞くところによると「魚には自信あり」とのこと。

 私は、港町育ちですから、いくら素晴らしい
 海産物であっても多少のことでは驚きません。
 しかし…、北陸の海産物は、まさに絶品でした。
 お酒もまたおいしい。
 女性は、働き者で気立てが良い。
古い町並みにも味わいがありました。
こんな素晴らしい日本が、まだココにはあったんだ……
と、どこか懐かしいような感覚を、しみじみと感じる街でした。

宴の途中から、奥様も合流して、皆で様々な意見交換などをし、
とても楽しく、有益な時間を持つことが出来ました。
 

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北陸に向かう途中

c02d3f7b.jpg 吉祥会東京研修会を終えた翌日、
板橋で簡単な体験会をすませ、
その足で北陸へ向かいました。

その途中、車窓にうつる風景が懐かしい。


かつてまだ私があまり稼げなかった時、
必死の思いで、師のもとに通った時に見た風景。

今回、私にとっては、
熱心な弟子によばれて行く道でした。
どちらにしても、私にとっては、
それぞれが特別な旅だと感じます。

初心を思い出しながら、
様々な思い出がよみがえりました。

そして、他者とは違う未踏の道を
歩む自分が、今ここにいるのだなぁ、と
ゆったりとした旅情気分の中、
気を引き締めていました。
 

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家族と過ごした休日

IMG_1644.jpg  連休を使って家族で秋を楽しんで来ました。
 さて、ここは?

 まずは、これらの写真からどうぞ…。
 

IMG_1641.jpgここは海抜800mくらいの所です。
 富士の山は、
 天気が良ければ見ることができる…
 というのもではありません。

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宇治の老舗で私達の事を考えた

IMG_1622.JPG (昨日のつづき)
 宇治の平等院辺りのお店を
 まわらせて頂いた後、
 ご案内して頂いた老舗のお嬢さんの
 ご自宅を訪問致しました。

 玄関には立派な門構え。
 27代続いているお家の風格を感じます。
 先日、気功の先生と訪れたお寺での事を
 思い出しながら、門前にあった石からの
 気を感じたりしていました。
IMG_1617.JPG  お家では、以前、私が関西を訪れた時に、
 施術をさせて頂いたお母様の施術を
 させて頂きました。
 

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宇治の老舗を訪問

IMG_1624.JPG ブログでの報告が遅くなりましたが、
 先日、宇治のお茶の老舗に行きました。

 車座の会によく来て下さる方のご実家が、
 室町時代から続くお茶の老舗なのです。
 いくつかあるお茶の老舗でも、
 一番古いお家の一つだそうです。

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伊豆長岡に行って来ました

IMG_5249-1.jpg吉祥会の忘年会を楽しく、
有意義なものにしようと考え、
会場候補の下見の為、
伊豆長岡に行って来ました。

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信州にて不思議な体験(4)

(昨日よりの続き)
長野4  帰りに案内して頂いた
「赤そばの里」です。
 見渡す限りのピンクの絨毯は、
 赤ソバの花です。

つづきはこちら

信州にて不思議な体験(2)

(昨日の続き)
階段を登った所に本堂がありました。

IMG_0777.jpg
 
植物の葉先、芽先、茎先などが、
みな本堂に向っていました。
気というものの存在を
信じるか否かはご自由ですが、
植物は正直だと思いました。

つづきはこちら

信州にて不思議な体験(1)

IMG_0777.jpg  今回、気功の先生と
 その先生の患者さん?  ファン?の方たちと、
 気が出ている場所に立つ体験をしてきました。

 今回の目的は、「分杭峠」です。
 日本で一番、気の出ている場所だそうです。
 
 この写真は、途中で立ち寄った、あるお寺さんでです。

つづきはこちら

東京のひととき(一部 訂正稿)

IMG_687..jpg
 仕事の合間を割いて、
 井の頭公園・巣鴨とに行って来ました。
 
ff337838.jpg
 初めて訪れたのですが、
 それぞれに良いところです。
 公園では、池の周りを散策し、
 ゆったりと気を感じてきました。

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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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