「東京のひととき(一部 訂正稿)」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く
生まれ赤子の こころ に帰ろう。
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
Navigation
東京のひととき(一部 訂正稿)
仕事の合間を割いて、
井の頭公園・巣鴨とに行って来ました。
初めて訪れたのですが、
それぞれに良いところです。
公園では、池の周りを散策し、
ゆったりと気を感じてきました。
巣鴨といえば刺抜きお地蔵様。
他の動物なら棘は、身を守りますが
人間の場合、自己保存や自我我欲になり、
相手 (時として共に生きる仲間) を、
愚かしくも、攻撃してしまうものです。
トゲトゲしく感じる人には、
とても気を使ってしまいますし、
あまり近づきたくもありません。
他の動物なら棘は、身を守りますが
人間の場合、自己保存や自我我欲になり、
相手 (時として共に生きる仲間) を、
愚かしくも、攻撃してしまうものです。
トゲトゲしく感じる人には、
とても気を使ってしまいますし、
あまり近づきたくもありません。
刺抜き地蔵様のお寺では、
沢山の方が、痛いところや、
具合の悪いところに、
煙を受けておられました。
というように、私たちは普段、健康でいられる時には、
身体に感謝をしていない事が多いです。
そのような状態であったとしたら、命の有難さを知る事さえ、
希になっているのではないかと思います。
時に人は、病気や…、はたまた事故などで、
突然、亡くなる事があります。
また幸いに、そうでなかったとしても、
人は いつかは老い、やがては死ぬという事を、
身近な問題として捉えることを、
普段は忘れてしまいがちです。
自分は何の為に産まれて来たのか…。
何のために生きているのかさえ忘れて、
ただただ、生きる為に食べているような…、
あるいは、ただただ…
食べる為に生きているような…、
人生になってしましまっていがちではないか…
と思います。
生活を豊かに…と、願う前に、
生きている事を、もっともっと真剣に考えない限り、
「人生」を、「生きている事」そのものを
感謝に変えることは、
出来ないのではないかと思います。
いくら贅沢が出来たとしても、感謝のない人生だったとしたら…、
“幸せの青い鳥” は、訪れないのではないかと思います。
富士は晴れたり日本晴れ…。
今日も生かしていただきまして有難うございます。
PR
Navigation
Navigation
- 前の記事: 敬老の日、TVを見て思ったこと
- 次の記事: お彼岸(2)
- インデックスページ
- このページの上部へ