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私の体験談の記事一覧: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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お彼岸(2)

IMG_5249.jpg  ご先祖さまの中には、
 この世にあった時には

 肉体に翻弄されて
 我が身の使命を忘れて
 あの世にお帰りに
 なられた方も
 おられたことでしょう。
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お彼岸(1)

彼岸花1  お彼岸なのでお墓参りに行きました。

 この肉体を授けて頂きました
 連綿と続くご先祖さまに、
 深い感謝の念を
 お伝えしてまいりました。

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熱海で見たもの

“♪熱海の海岸散歩する~♭" 金色夜叉(尾崎紅葉)
アヤシイ男のふたりずれ…。(笑)

IMG_0358.JPG
その舞台に、ワケあって来ました。

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マジックショー?! いや、違いますよ

今月の大阪の実践技術コースが終わりました。
本日は、既にブログで報告させて頂きました
K-DESPAのUD研の一コマを動画でどうぞ!

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大阪にて

DSC00141-1.JPG ここ数日間、実践技術コースで大阪でした。
 この数ヶ月、大阪に来る度に感じたことを書きます。
 
 自転車に乗っている人が多い。
 自分の価値観で自転車をどこでも置いていかれます。
 あれで、トラブルが無いのだろうか?と思いました。

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K-DESPAのUD研の講演

DSC00058.JPG 昨日は、播磨屋さんの事を
 書かせて頂きました。
 播磨屋さんに行った日の夜は、
 K-DESPAのUD研の講演でした。
 
 (写真中の文字、1024人とは
   十世代のご先祖の数の説明です)

 

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受講者を迎えて

d2ba3198.jpg ここ数日間、東京実践コースで多忙です。

  公式HPに
 『講座受講者を迎えるにあたって』として
  次のような言葉を載せています。

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地震…その後の近況

dd052d36.jpg  まだ余震が時々ある焼津ですが…、
  これくらいで済んでホッとしています。

  15日に法事があり、親戚が集まりました。
  故人の話もさることながら、
  一番の話題は、やはり先の地震の話題でした。


  そこで交わされた巷の噂を集めてみました。

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地震

早朝の5時07分 揺れました。
私の人生の中で、震度6弱を経験した事はないです。

御陰さまで、私の住まう焼津では、
ライフラインも交通機関も大丈夫でした。

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本格的な夏が到来

梅雨が明けたのか、どうなのか?
かみさんに聞いてもそんなことはつゆしらず…
(聞く人を、間違えてしまいました ^^。)
カミさんは、カミでも、ここは神さまの方が良かったか…。

このところの暑さで、息子が熱中症になってしまいました。
外に出ていて、幼稚園の行事で
太鼓の練習をしていたということでした。

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カエルが空から降ってきた?

空から降ってきた蛙   今回の講座日程を終了し、
   大阪から帰る新幹線の中で、
   私は
  「学院を立ち上げた時の心に戻ることが出来た」
  「これで良かったんだ」と振り返っておりました。

   万感の思い出で帰宅したのは、23時頃でした。

   その翌日、
   家に不思議なことが起こりました…。

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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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