「「奇跡のリンゴ」に共感を覚えました」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く
生まれ赤子の こころ に帰ろう。
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「奇跡のリンゴ」に共感を覚えました
私が旧職を辞して間もなく、
ふるくから、お付き合いがあります、
ある不調者さんが、私のところに1冊の本を
持って来てこられて、こう言われました。
「村松先生のおやりになりたいことは、
こういうことではないですか?
是非、一度お読みになって下さい」と。
その本のタイトルは「奇跡のリンゴ」です。
私は、この本を読んで感激致しました。
無農薬栽培のリンゴ農家の方が書かれた本でした。
この本の著者、木村さんがすごいところは、
ただ単に自然農法をやっているからではありません。
彼は、素晴らしい先駆者の魂をもった方なのです。
最近私は機会ある度に、
木村さんの「奇跡のリンゴ」の話をさせて頂いております。
冒頭の写真は吉祥会・静岡研修会の時のものです。
農家の方は、場合によっては消費者以上に、
農薬などの化学農法の害を知っています。
多くの農家が、これも仕事だからと思って、
仕方なく農薬や化学肥料等を利用しているわけですが、
日常的な作業でそういった毒物にふれるわけですから、
マスクなどの防護はしていても、知らず知らずのうちに、
農薬等の薬害が身体に蓄積してしまい、発ガンなど
様々な被害にあわれています。
そういった方法で作った農産物を、日常的に食する
消費者にも、ある程度、害があろうことは、判っているのです。
生産者側も使いたくないのだけれど、農薬を使わないと
一般消費者が良いと感じてくれる作物が出来ない…と
信じています。
つまり、農業でさえも、現代社会の負の歯車の中、
やむにやまれぬ状況で、農薬や化学肥料を使っています。
様々な産業が『やむにやまれぬ(?)』理由で、非人間的なことを
して来ました。ここ数十年、我々の口に入れるものを
生産する農業でさえ、ひどいものになってしまっていました。
「出来れば農薬や化学肥料等使いたくない。食べたくない」
と考える方は農家にも、消費者にも多いでしょうが、
特にリンゴなどの作物の場合、
無農薬は絶対不可能と考えられていました。
しかし、木村さんは無農薬のリンゴ栽培に成功されました。
途中、10年近く収穫ゼロになるなど苦難の道を歩まれた末のことです。
様々な苦労が重なり、自殺をしようと思われたこともあったそうです。
その時に「死ぬくらいなら、その前に、1回はバカになってみたらいい」
と考え直したということです。
そうやって出来たリンゴは、無農薬というだけではなく、
信じられない程、品質が良いということです。
たとえば、皮を剥いて切った翌日も黄色くならない…!
味は、もちろん天下逸品!
一般的なリンゴとは全く違うものだそうです。
そんな“ホンモノ”のリンゴですから、
今や全国から「欲しい、欲しい」と注文が殺到しています。
木村さんの著書「奇跡のリンゴ」のサブタイトルは、
「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録、です。
彼の行った偉業は、毒のかかっていないリンゴを作ったということだけでなく、
ものの見方を変え、本来あるべき調和のとれた姿を
実際に示したところにもあると思います。
今の世の中、間違ったことが「当たり前だ」と信じられてしまっている例が、
あまりにも多すぎます。思想や信念が大事なのだと共感しました。
農業だけでなく、健康法や医療に関しても同様で、
人々は間違ったことを信じさせられています。
そして一般のビジネスやお金にまつわる意識など、
目も当てられない状況になってしまった…、
と言っても過言ではないでしょう。虚偽や言い訳だらけではありませんか!
そんな状態の中で、心が翻弄させられていたのでは、
心身の健康を保とうといっても、無理があるのではないでしょうか…。
人々が「あたりまえだ」「しかたない」「当然だ」と思うことでも、
多くの誤った思い込みが存在することがあります。
そして、そういった状況の中で、人々は自らの首を絞めてしまっているのです。
木村さんが素晴らしいのは、値段を市価の平均的なリンゴと
同じレベルにしていることです。無農薬栽培の農産物は、
今や欲しい消費者も多く、付加価値が高いのだから、
高く売るのが当然、という考えが一般的にはあります。
木村さんは、そうではないのです。
木村さんは言われます。
「良いものだからといって、高くしてしまっては嗜好品になってしまう。
人が普通に食べられる食品でなくなってしまっては意味がない」と。
木村さんの苦難の経緯を考えると、高くて当然だと言えるのですが、
彼はそれをしなかった。普通に人々に届くものでなければならないと考えたのです。
ニユクロも、それまでの衣料ブランドのあり方を変え、支持されています。
充分に良いものだからといって、高い値段でなくともいいのではないか?!
人々に、そういう考え方を浸透させました。
そういう時代になって来ていると思います。
私は、整体の業界も同じではないか!と感じました次第です。
良いものだからといって、一般的に手が出せないようなものになってしまっては
意味がありません。私の考えることは、特殊すぎるのでしょうか?!
精神のひずみは身体に現出します。
だから整体師は、心も扱うべきだと考えるのが自然です。
ブログで何度も書かせて頂きますように、心が救われると
病も自然と消えてゆくことが、とても多いのです。
整体師とは、社会の中で、陰日向に人々をお助けする職業です。
だからこそ、特殊な利己主義に走ってはならないと思います。
ましてや、指導者的立場の者や、教育機関は尚更です。
知らず知らずのうちに、師の姿勢が、教え子に浸透するものだからです。
語弊を恐れず言いますと、考えようによっては、
利己的な考えを持った治療家ほど怖いものはない。
(ここでいう「治療家」とは広義においての治療家で今回は医師等を含みます)
西洋医学を中心とした現代の医療システムが批判されるのは
そういった点にもあることは、あらためて言うまでもないでしょう。
人間は考えていることが、実現してゆくのです。
木村さんは言われます。
「リンゴの木は、りんごの木だけで生きているのではない。
周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。
人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、
自分一人で生きていると思っている」と。
我々は調和を取り戻さなければいけない時代に生きています。
そんな時代に、療術家として、どう生きるべきか…。
未来に対する責任が大きな仕事なのではないかと感じます。
ただ単に、施術の作業を行うだけでは不毛です。
公の精神あふれ、社会の一隅を照らす、
人々の心のよりどころでありたいと思います。
未来は我々の心が作り出すものだと思います。
これからの時代、何が本当に求められているかを、
共に考えてゆきたいと感じております。
先駆者は孤独ですが、真っ直ぐに生きていれば、
そして志があれば、きっと支持者や追従者は現れます。
本当の自由とは、自らの心に由(よ)ることです。
今日も生かして頂きまして、ありがとうございます。
ふるくから、お付き合いがあります、
ある不調者さんが、私のところに1冊の本を
持って来てこられて、こう言われました。
「村松先生のおやりになりたいことは、
こういうことではないですか?
是非、一度お読みになって下さい」と。
その本のタイトルは「奇跡のリンゴ」です。
私は、この本を読んで感激致しました。
無農薬栽培のリンゴ農家の方が書かれた本でした。
この本の著者、木村さんがすごいところは、
ただ単に自然農法をやっているからではありません。
彼は、素晴らしい先駆者の魂をもった方なのです。
最近私は機会ある度に、
木村さんの「奇跡のリンゴ」の話をさせて頂いております。
冒頭の写真は吉祥会・静岡研修会の時のものです。
農家の方は、場合によっては消費者以上に、
農薬などの化学農法の害を知っています。
多くの農家が、これも仕事だからと思って、
仕方なく農薬や化学肥料等を利用しているわけですが、
日常的な作業でそういった毒物にふれるわけですから、
マスクなどの防護はしていても、知らず知らずのうちに、
農薬等の薬害が身体に蓄積してしまい、発ガンなど
様々な被害にあわれています。
そういった方法で作った農産物を、日常的に食する
消費者にも、ある程度、害があろうことは、判っているのです。
生産者側も使いたくないのだけれど、農薬を使わないと
一般消費者が良いと感じてくれる作物が出来ない…と
信じています。
つまり、農業でさえも、現代社会の負の歯車の中、
やむにやまれぬ状況で、農薬や化学肥料を使っています。
様々な産業が『やむにやまれぬ(?)』理由で、非人間的なことを
して来ました。ここ数十年、我々の口に入れるものを
生産する農業でさえ、ひどいものになってしまっていました。
「出来れば農薬や化学肥料等使いたくない。食べたくない」
と考える方は農家にも、消費者にも多いでしょうが、
特にリンゴなどの作物の場合、
無農薬は絶対不可能と考えられていました。
しかし、木村さんは無農薬のリンゴ栽培に成功されました。
途中、10年近く収穫ゼロになるなど苦難の道を歩まれた末のことです。
様々な苦労が重なり、自殺をしようと思われたこともあったそうです。
その時に「死ぬくらいなら、その前に、1回はバカになってみたらいい」
と考え直したということです。
そうやって出来たリンゴは、無農薬というだけではなく、
信じられない程、品質が良いということです。
たとえば、皮を剥いて切った翌日も黄色くならない…!
味は、もちろん天下逸品!
一般的なリンゴとは全く違うものだそうです。
そんな“ホンモノ”のリンゴですから、
今や全国から「欲しい、欲しい」と注文が殺到しています。
木村さんの著書「奇跡のリンゴ」のサブタイトルは、
「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録、です。
彼の行った偉業は、毒のかかっていないリンゴを作ったということだけでなく、
ものの見方を変え、本来あるべき調和のとれた姿を
実際に示したところにもあると思います。
今の世の中、間違ったことが「当たり前だ」と信じられてしまっている例が、
あまりにも多すぎます。思想や信念が大事なのだと共感しました。
農業だけでなく、健康法や医療に関しても同様で、
人々は間違ったことを信じさせられています。
そして一般のビジネスやお金にまつわる意識など、
目も当てられない状況になってしまった…、
と言っても過言ではないでしょう。虚偽や言い訳だらけではありませんか!
そんな状態の中で、心が翻弄させられていたのでは、
心身の健康を保とうといっても、無理があるのではないでしょうか…。
人々が「あたりまえだ」「しかたない」「当然だ」と思うことでも、
多くの誤った思い込みが存在することがあります。
そして、そういった状況の中で、人々は自らの首を絞めてしまっているのです。
木村さんが素晴らしいのは、値段を市価の平均的なリンゴと
同じレベルにしていることです。無農薬栽培の農産物は、
今や欲しい消費者も多く、付加価値が高いのだから、
高く売るのが当然、という考えが一般的にはあります。
木村さんは、そうではないのです。
木村さんは言われます。
「良いものだからといって、高くしてしまっては嗜好品になってしまう。
人が普通に食べられる食品でなくなってしまっては意味がない」と。
木村さんの苦難の経緯を考えると、高くて当然だと言えるのですが、
彼はそれをしなかった。普通に人々に届くものでなければならないと考えたのです。
ニユクロも、それまでの衣料ブランドのあり方を変え、支持されています。
充分に良いものだからといって、高い値段でなくともいいのではないか?!
人々に、そういう考え方を浸透させました。
そういう時代になって来ていると思います。
私は、整体の業界も同じではないか!と感じました次第です。
良いものだからといって、一般的に手が出せないようなものになってしまっては
意味がありません。私の考えることは、特殊すぎるのでしょうか?!
精神のひずみは身体に現出します。
だから整体師は、心も扱うべきだと考えるのが自然です。
ブログで何度も書かせて頂きますように、心が救われると
病も自然と消えてゆくことが、とても多いのです。
整体師とは、社会の中で、陰日向に人々をお助けする職業です。
だからこそ、特殊な利己主義に走ってはならないと思います。
ましてや、指導者的立場の者や、教育機関は尚更です。
知らず知らずのうちに、師の姿勢が、教え子に浸透するものだからです。
語弊を恐れず言いますと、考えようによっては、
利己的な考えを持った治療家ほど怖いものはない。
(ここでいう「治療家」とは広義においての治療家で今回は医師等を含みます)
西洋医学を中心とした現代の医療システムが批判されるのは
そういった点にもあることは、あらためて言うまでもないでしょう。
人間は考えていることが、実現してゆくのです。
木村さんは言われます。
「リンゴの木は、りんごの木だけで生きているのではない。
周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。
人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、
自分一人で生きていると思っている」と。
我々は調和を取り戻さなければいけない時代に生きています。
そんな時代に、療術家として、どう生きるべきか…。
未来に対する責任が大きな仕事なのではないかと感じます。
ただ単に、施術の作業を行うだけでは不毛です。
公の精神あふれ、社会の一隅を照らす、
人々の心のよりどころでありたいと思います。
未来は我々の心が作り出すものだと思います。
これからの時代、何が本当に求められているかを、
共に考えてゆきたいと感じております。
先駆者は孤独ですが、真っ直ぐに生きていれば、
そして志があれば、きっと支持者や追従者は現れます。
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自己紹介
村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐
ビジョン:
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
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