村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く ログ
生まれ赤子の こころ に帰ろう。
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痛みをとるだけの整体師の育成は こりました
私たちの業界の幸福なあり方を考える<2>
「成功しましょう!」
「夢を実現しましょう!」
「稼げるようになりませんか!」・・等など。
そのような募集に心をうたれ、
それをうたっているところで学んでみたら…
いつの間にか、
同じ地区の…しかも、
すぐ近所に同業者が開業した…。
なんて事になったら、どうしますか?
私たちの業界の幸福なあり方を考える<1>
私たちの幸福は
無数ともいえる…様々な人たち
~そのほとんどが見ず知らずの人たち~
に支えられているという原則があります。
手法を変えた事。伝達法に関して最近思うこと <2>
伝える事と、伝わった事とは違います。
説得する事と、納得する事とは違います。
…と、ここまで昨日はお伝え致しました。
従来の経験からいいますと、
私が、痛みをお持ちの方(不調者)と
話す会話の録音をCDなどで聴いているだけで、
予約が入るようになるという事実があります…!
その様なことを言われる先生方が、
何人もおられます。
しかし、そんな伝達法で満足していてはダメです。
手法を変えた事。伝達法に関して最近思うこと <1>
偽れない己の心
普通、人は失敗を引きずる傾向があります。
後ろ向きな人ほどいつまでもそうです。
ところが前向きの人は違います。
良い勉強をしたと思い、
次の事にしか視点が行かないのです。
これは恋愛問題にも通じる大事な視点です。
そして、相手の幸せのみ思っています。
なるべく冷静な判断をする為には、
自分への執着をしない事です。
経営でも、恋愛でも、自分だけの事を考えていないか?を、
振り返る事が大切です。
自分の利益に執着しますと損する様に世の中は
流れる仕様に出来ています。
(これはホントです)
人生の岐路など物事の決断を判断する決め手は、
結局の所、理屈ではありません。
結婚でも、就職でも、
人付き合いでも理屈を超えたところで
判断しています。(みなさんそうでしょう?)
実は人生では、アタマで考えるより
この「何となく」が大切なのです。
その方が上手くいくことの方が多いのです。
何故か?というと、
そこに目に見えない不思議な力が
働いているからです。
この「何となく」が降りて来ないうちは、
問題への努力不足だという事です。
では、本当に早く決断したい場合は、
どうしたらいいのでしょう。
慣れの怖さ
増加して来たのに、
「殺された」という事実に
驚かなくなって来ています。
イラクでの死者数の凄さも
今は慣れて驚かなくなった。
アフガンの死者数増加も
驚かないし悲しみも感じない。
魅力的な歴史上の人物は?
何に、いちばん喜びを感じるかというと
家族と過ごした休日
宇治の老舗で私達の事を考えた
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自己紹介
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
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