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「健やかに生きる」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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健やかに生きる

人は様々な欲に心を振り回され、自分自身を苦しめて、
己を忘れて人生を送っているのだと、しみじみと感じます。

目で見ること、聴いた言葉などいわゆる五官の影響です。

(仏教では『六根』と例えたりしますが、一般的には
五官と例えた方が判りやすいでしょう。ちなみに
『六根』とは感覚や意識を生じ、またそれによって迷いを
起こさせる原因となる六つの器官。眼•耳•鼻•舌•身•意

ということで、『意=意識の持ち方』も含まれています。
勿論私は、特定の仏教派閥の人間ではありませんが、
インドに生じ、最終的に日本で高い文化として花開いた
知恵の集積として、仏教的な知恵は、大いに参考に
していますし、そのような叡智にふれやすい国で
生まれ育くまれた事に、とても感謝しています)


人はその五官から、
怒りや、恐れ、さびしさや、喜びなどを作り出し、
知らぬ間に、それをむさぼり、また執着してしまう。
そして足ることを知らない欲望に、
無思慮に溺れる愚者になりはてて、死を迎える頃には、
「あぁ、こんなはずではなかったんだ…」と言って
あの世へ帰る人が多いのです。

本来、私たちの身体、ひいては人生は、
心の修行のためにあるのであり、
五官はとらわれ過ぎずに楽しく、健やかに…、
そのために使っていくべきものなのです。

以前の記事で、我々のこの肉体でさえも、
自分のものでなく、与えられたものだ、という趣旨の事を
書かせて頂きました。
短慮に考えると、一見、二律背反的です…。
肉体がなければ、人生はやってゆかれない…。
しかし、預かりモノの肉体だからこそ、
感覚に溺れるのではなく、うまく付き合って、
各々の人生を意義深い時間としなければいけないのだと思います。

五官に振り回されすぎる事によって、
自らを苦しめてはなりません。
浅慮に五官に翻弄されるということは、
身体本来の主人公を見失っているのです。

また、
歳をとれば、誰しもがどこかにガタがきます。
病院の待合では、そんなとこだらけの身体の談義に
花を咲かせています。

痛みにばかりに振り回されていると
良い歳のとり方にはなりません。

考えても見てください・・。
「痛い痛い」と言えば、痛みが消えるのでしょうか?
それを人に話してみて、聞いている方が楽しいのでしょうか?
もっと、気分が良くなる話をして、人と接してあげないと
相手に悪いのでないのでしょうか。

歳を重ねているのですから、
それなりの身体になっているのは当たり前。
要は、これとうまく付き合っていく
健やかな心こそ、日ごろから考えていくべきです。

足ることを知り、周りに感謝して、
心のバランスが取れた
良い歳のとり方をしたいものです。

そのようになれば、周りの方々にも慕われますね。

歳だから身体を鍛えろというのは、その内に限界が来ます。
適当な運動と、心こそ、普段に鍛えて置くべきなのです。

病気や身体のハプニングは、付き物です。
避けようとしてもできません。
ならば、これを人生のポイントとして捉え、
心を見つめる時間であり、
振り返る絶好の時だと思う気持ちになった方が
良いと思います。

いつまでも五官に振り回されていると、
良い歳のとり方ができません。

心が健康であれば、やすらぎのある胸中が作れます。

幸せは、何不自由ない体になっても、
何不自由のないような生活を送っても、
それだけでは訪れません。
なぜなら、心で感じるものだからです。

痛いと言って、または苦悩に悶えていると言って、
いつも自分の気分だけを優先しない事です。

意識の持ち方、心の持ち方が重要です。
本質的、根源的なところにおいて、
健やかに生きる為には欠かせない事です。

人それぞれ人生の課題は、様々な時期に生じますが、
そういった心がけが出来てくると、
不思議と自然治癒力も、相当に上がって来たりします。
万事に共通する事ではないかと思います。
長年、治療の現場で感じて来た事です。

今日も私達を生かしたもう、この世界、
    そして宇宙という存在に感謝いたします。
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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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