「我が子に、自分の小学校時代の通信簿を見せながら」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く
生まれ赤子の こころ に帰ろう。
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我が子に、自分の小学校時代の通信簿を見せながら
問題のない人生なんてあるわけが無い!
実際には、問題を自覚する事から得られることの方が
はるかに有益なことが多い。
人生を渡ってゆく際の様々な問題ばかりではなく、
病気や痛みも同じです。
今あなたに起きている事をどのように捉えるか?
どのように乗り越えていくか?
宿題を解きながら人生を生きています。
この宿題は、生まれる前に自分で設定し
産まれる環境や親を選び、過去世からの
縁でほとんどが繋がっています。
あなただけが特別に苦しいのではない。
その意味では『特別な人』なんていません。
私は、整体という仕事を通じて、
多くの身体の不調な方、様々な研修生を見させて頂きました。
多くの方が自分自身の素晴らしさや、力に気づいていない。
常識に囚われすぎて、
自分の力が出せないのだと感じています。
私は、子供に、
「失敗したこと=挑戦した証拠なんだ、
そこに目を向けなさい、そうすれば工夫が生まれるだろう。
失敗なんかアタリマエだ」といつも言っています。
「勉強なんかできなくたっていい・・。」と、
私の子供の頃の通信簿を見せます。
冒頭の写真が、それです。
私が小学校4年生の時のものです。
通信簿は、どの教科も普通か、それ以下です。
(上の写真アイコンをクリックすると拡大表示されます)
(^_^;;
細かく見てゆくと、一学期には『普通』であった社会科の評価を
二学期に落とし、三学期には私なりに頑張って挽回したとか…。
一〜二学期には『普通』であった算数の評価を、
三学期には落としたとか、
当時の私なりの学校での出来事が、目に浮かぶようでもあります。
(笑)
(算数の成績を落としたのは「計算ばかりの人生をしない方が良い」、
“社会”は重要だから取り戻さなくては…などと、当時、
考えたからではありませんが(笑)、小学校の時の学力など
実際は上級生になれば、挽回しているものです。
もちろん、この釈明はご愛嬌か、ジョークの類ですよ。)
協調性に欠けるとか忘れ物が多いとか、
先生のコメントまで書いてあり、
私の子供時代の学校での評価には
良いところは、ほとんど見られません。
それも全部、子供に読んで聞かせました。
“健康でいて、馬鹿でなけりゃいい・・”
“友達が沢山いて、楽しく遊んでいればいい”
“他人に迷惑を掛けなければいい”
“騙されても騙すな”
“あいさつは、近所の人に必ずしろ”
これが私の父親や祖母の口癖でした。
少年時代、親父に通信簿を渡した時に言う言葉が
「悪いことはしてないだろうなぁ。」でした。
当時は判かりませんでしたが、今は親父の気持ちが判かります。
私がなぜ、子供に見せるのか…。
これからの時代は、評価を稼ごうという意図で生きるより、
腹蔵のない生き方が求められると思うからなのです。
腹蔵のない生き方=心の健康
と思っているのですが、家内は少し複雑の様です。。
もちろん、私は
基礎学習を否定をしている訳ではありません。
無知蒙昧が社会へ毒を撒く事だってある。
若い頃や子供の時に身に付いた『教養』は一生を通じ、
万事の判断を助長してくれます。
また一方で、成績さえ良ければいいと育った人間が、
極端な挫折をする事もあります。
ゆえに実際には『中庸』をお勧めします。
学校の勉学を努力出来る子供は、精一杯やればいい。
できない子供も、それはそれで良いじゃないか…。
長所は人それぞれ誰にもあります。努力出来る事を見つけて、
それを伸ばしてゆく事の方が肝心です。
それを伝えてあげられる大人が、
子供の周りに、どれだけいるか…。
それによって、一人一人の子供の
人生に於ける本当の豊かさが変わってくるのだと思います。
そういった幅のあるある受容性が、何よりも大切だと思います。
その上で繰り返しますが、
問題のない人生なんてあるわけが無い!
実際には、問題を自覚する事から得られることの方が
はるかに有益なことが多いと思うのです。
失敗や苦手を自覚する事から、自分の能力を伸ばそうと工夫する事もある。
感じるように・・・!
知覚するよう・・! と、努めていると、
人生の深い意味が、思考の向こう側にある。
いずれにしても、他者から見た自己の評価を上げることより、
他者の為になれるよう、人一倍、努力できることは尊いこと。
その為の努力を惜しまない生き方をしたいと、
私は思います。
今日も生かしていただいている宇宙意識に有難うございます。
実際には、問題を自覚する事から得られることの方が
はるかに有益なことが多い。
人生を渡ってゆく際の様々な問題ばかりではなく、
病気や痛みも同じです。
今あなたに起きている事をどのように捉えるか?
どのように乗り越えていくか?
宿題を解きながら人生を生きています。
この宿題は、生まれる前に自分で設定し
産まれる環境や親を選び、過去世からの
縁でほとんどが繋がっています。
あなただけが特別に苦しいのではない。
その意味では『特別な人』なんていません。
私は、整体という仕事を通じて、
多くの身体の不調な方、様々な研修生を見させて頂きました。
多くの方が自分自身の素晴らしさや、力に気づいていない。
常識に囚われすぎて、
自分の力が出せないのだと感じています。
私は、子供に、
「失敗したこと=挑戦した証拠なんだ、
そこに目を向けなさい、そうすれば工夫が生まれるだろう。
失敗なんかアタリマエだ」といつも言っています。
「勉強なんかできなくたっていい・・。」と、
私の子供の頃の通信簿を見せます。
冒頭の写真が、それです。
私が小学校4年生の時のものです。
通信簿は、どの教科も普通か、それ以下です。
(上の写真アイコンをクリックすると拡大表示されます)
(^_^;;
細かく見てゆくと、一学期には『普通』であった社会科の評価を
二学期に落とし、三学期には私なりに頑張って挽回したとか…。
一〜二学期には『普通』であった算数の評価を、
三学期には落としたとか、
当時の私なりの学校での出来事が、目に浮かぶようでもあります。
(笑)
(算数の成績を落としたのは「計算ばかりの人生をしない方が良い」、
“社会”は重要だから取り戻さなくては…などと、当時、
考えたからではありませんが(笑)、小学校の時の学力など
実際は上級生になれば、挽回しているものです。
もちろん、この釈明はご愛嬌か、ジョークの類ですよ。)
協調性に欠けるとか忘れ物が多いとか、
先生のコメントまで書いてあり、
私の子供時代の学校での評価には
良いところは、ほとんど見られません。
それも全部、子供に読んで聞かせました。
“健康でいて、馬鹿でなけりゃいい・・”
“友達が沢山いて、楽しく遊んでいればいい”
“他人に迷惑を掛けなければいい”
“騙されても騙すな”
“あいさつは、近所の人に必ずしろ”
これが私の父親や祖母の口癖でした。
少年時代、親父に通信簿を渡した時に言う言葉が
「悪いことはしてないだろうなぁ。」でした。
当時は判かりませんでしたが、今は親父の気持ちが判かります。
私がなぜ、子供に見せるのか…。
これからの時代は、評価を稼ごうという意図で生きるより、
腹蔵のない生き方が求められると思うからなのです。
腹蔵のない生き方=心の健康
と思っているのですが、家内は少し複雑の様です。。
もちろん、私は
基礎学習を否定をしている訳ではありません。
無知蒙昧が社会へ毒を撒く事だってある。
若い頃や子供の時に身に付いた『教養』は一生を通じ、
万事の判断を助長してくれます。
また一方で、成績さえ良ければいいと育った人間が、
極端な挫折をする事もあります。
ゆえに実際には『中庸』をお勧めします。
学校の勉学を努力出来る子供は、精一杯やればいい。
できない子供も、それはそれで良いじゃないか…。
長所は人それぞれ誰にもあります。努力出来る事を見つけて、
それを伸ばしてゆく事の方が肝心です。
それを伝えてあげられる大人が、
子供の周りに、どれだけいるか…。
それによって、一人一人の子供の
人生に於ける本当の豊かさが変わってくるのだと思います。
そういった幅のあるある受容性が、何よりも大切だと思います。
その上で繰り返しますが、
問題のない人生なんてあるわけが無い!
実際には、問題を自覚する事から得られることの方が
はるかに有益なことが多いと思うのです。
失敗や苦手を自覚する事から、自分の能力を伸ばそうと工夫する事もある。
感じるように・・・!
知覚するよう・・! と、努めていると、
人生の深い意味が、思考の向こう側にある。
いずれにしても、他者から見た自己の評価を上げることより、
他者の為になれるよう、人一倍、努力できることは尊いこと。
その為の努力を惜しまない生き方をしたいと、
私は思います。
今日も生かしていただいている宇宙意識に有難うございます。
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自己紹介
村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐
ビジョン:
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
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