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「叔父の死で思う」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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叔父の死で思う

先月、叔父がガンで他界しました。
腫瘍が見つかったときには、手の施しようがない状態だったため、
抗がん剤もせず栄養と痛みを取るため(モルヒネ)の点滴でした。

叔父は、私が幼少の頃から、よくめんどう見くれ、
父(平成12年他界)亡き後、何かと相談にも
のっていただけるなど頼もしき存在でした。

以前のブログ記事でも書かせていただいたように
丁度、私は前職を辞し、スローライフをしていた時期でした。

叔父が息を引き取るまでの間、ほとんど毎日付き添う事が出来て、
病院で施術をしてあげることができました。

最後はモルヒネも効きにくく、苦しみがつづきました。
そんな中でも施術をすると、だいぶ楽になったようすでした。
就業中であれば、このようにはできないと思うと、
感謝せずにはいれません。
わが身の幸せを感じておりました。

人生の様々な局面で、偶然起こってくるように思われる物事も、
ただの偶然ではなく、様々な巡り合わせや意味があるのだなぁと
感じておりました。

叔父は1ヶ月猶予の闘病生活でついには死期を悟り、
病室に見舞いに来た方にお礼を申し上げたり、
思いを託すかのように話し、“もう思い残すことはない”
といったやすらかな死相であの世に旅立っていきました。

74歳の生涯で私に残した遺言は、
「受けた人の恩だけは忘れるな」という言葉でした。

出会う以上、必ず別れが来ます。
人以外にも、可愛がっていた動物にも、
「さようなら」と言わないといけない時が来ます。
もっといえば、私たちが目に映るすべてのものに別れは来ます。

多くの方が、この身体が自分の物と思って過ごしている
と思いますが、それは違います。

なぜなら、歳を取りたくないと思っても、
毎年一つずつ頂くし、病気になりたくはないと思っても
ある日、病気になります。

このように身体というものは、
自分の意思ではどうしようもないのですから、
自分であるようで実は自分の物ではありません。

本当の自分は…、というと
“思う心”あるいは“魂”と
呼ばれているものだけです。

別な言い方をするなら、私たちがこの世を卒業するには、
お金や不動産、着ている物、地位などど一緒に肉体も持って
帰れない代物だということです。
目に見えているものは、全部持ってはいけないのです。

自分が持っていけるのは、生きているときになした
“行い”と“心”だけです。
 
また、どんなに自分で満足な人生を送り、あの世に帰っても、
臨終に際し評価をするのは、周りの方々であり、
あなたではないということです。

お悔やみや告別式の時に、それがよく解ります。

人生において、そのような特別な機会は、最後のひと時だけです。
平時こそが大切です。日々の言動や生活態度、生きる姿勢が
大切であると思います。

そして、すばらしい人生を歩んだ方は、
人々の心の中で、いつまでも暖かく働きかけてきます。
そういったことを実感させて頂ける叔父の臨終でした。

生かされている自分に今日も感謝します!
村松幸彦 拝
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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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