「療術の実態(2)」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く
生まれ赤子の こころ に帰ろう。
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療術の実態(2)
(昨日の続き。冒頭、重複致します)
私のやる事は、世の中には、
常識では無いかも知れません。
もう、いいかげん自分を偽って生きるのは
止めにしたらどうであろうと
言いたい気分です。
(冒頭写真は大阪の講座です。当記事とは、ほぼ無関係です)
国家資格??%高合格などと言って
受講生を募集している学校があります。。
しかし、
資格を得ても、痛みを取れないということから、
独立開業で一本立ち出来る方はほとんどなく、
大方は資格を持っただけで終わってしまったり、
どこぞの院での安給職ということが、
多くの場合の実態です。
国家資格ですから、3年、最低400万くらい
かかって、この実態です。
そんな、卒業生の実状を知らせずに、
生徒の募集しています。
こんな話を聞きました。
かつて高校を卒業した頃、療術の学校法人に
入学しようとしましたが、受験に失敗。
そうこうしているうちに、ご自身の卒業された
高校の校長先生に書いて頂いた推薦状では、
ダメな事が判ったようです。
お金を積んだり、しかるべき有力者の
推薦状などがなければ入学出来ない事実が
ある事を知り…、それをクリアして翌年は、
めでたく合格…!
施術学校に入学してみると、それは校内では、
当たり前の話だったといいます。
様々な苦労をして学んでも、また、資格を取っても、
不調者の痛みを取れなかったり、
なかなか望む結果が出せない…。
そして仕事にも就きにくい業界でもあったことに
後から気づく…。
職を得る事ができたとしても、ほとんどが安月給…。
運良く開業出来たとしても、
痛みを取れなかったり、望む結果が得られない
施術家達が何をするかといいますと、
いかに不調者を自分の顧客様(?)として
活かさず殺さず…、手練手管のテクニックや話術が
巧みになる。
そんなことでは、
不調者に対する、誠意がある
きちんとした伝達とはいえません。
施術家の先生達の会話では、
それも当然の事となっている…。
施術に自信がないから、療術界で流行する様々な
モノを取り入れる事になり…また散財。。
そうやって泣き続けた方々が、
やはり「人の役にたちたい。人の痛みをとりたい…」など
という思いを捨てきれず、私のもとにやってきて、
「やっと食えるようになった」などということが
普通にあります。
「彼氏を男にして下さい」と彼女に頼まれ…
その後、努力が実り、稼げるようになったので
無事結婚などという事もありました。
しかし、最近、全国をまわってみますと、
ソロバン勘定には長けていても、施術に対する
真摯さは、どこ吹く風となってしまい、
正直さに欠ける施術家が…狭い自己保存の思いに
駆られ、また、どうしようも出来ないシガラミに
とらわれてしまって、自身をただせない
という例を多く見聞きしました。
療術というものは、奥が深いですから、当初、
自分ではどうしようもない状態に出会う事は
よくある訳です。その時に、カッコをつけて、
つい、不正直なことを言ってしまう…。
自信がないなら、その事を誤摩化さずに、
不調者に伝えるというのが、プロとしての
誠意というものです。
誤摩化しても、何の誠意にもなりません。
でも、プロたるもの「解決法はありません」では
話になりませんから、そういった先生の為に、
私は電話による遠隔指導というものを行って来ました。
現場は生々しい状況がある訳ですから、
何らかの記述物やデータをひもといても、
満足いく対応が出来る訳ではないという事は、
現場の先生には、当然の事なのです。
本当は、療術に自信がないにもかかわらず、
自信満々のふりをして、
後進達を引っ張るリーダーがいる…。
それがあまりにも多い事に驚きました。
盲目のリーダー達が、何も知らない新人を
引っ張って行ってしまう事が何と多い事か…。
そんなことを続けていると、いくら頑張っていても
被害者を量産するシステムへと堕してしまうのです。
本来、真剣さや誠実さが求められる職業ですから、
通常より、驕っていてはなりません。
「赤信号、皆で渡れば怖くない…」の精神は
とても恐ろしい事です。
万事、心が創ってゆきます。
おかしな精神で、物事を進めてゆくと、
最後はとんでもない事になってゆく事が
ほとんどです。
一時的に隆盛をほこっても、驕った「個」が、
最後、どうなってゆくかは、
歴史が示しています。
いつも自分の心を見つめ、
襟元をただしておく事が大切なのです。
正直に、そういった事を吐露して下さる
真摯な先生が何人かいました。
苦しんでおられたようですが、
正直さは、最後には救いになります。
不調者は必死で…、命がけで頼ってくるのです。
そんな方々を真摯に受け止めてゆくのが療術家です。
鵜匠のようなシステムの上に立ったと思っても、
そんな循環の中にいたら、、
自分も奴隷ガシラなんだということに
気づけなくなっている。
まともな学びが出来ていなかったら、
他に良い方法を知らないから、
結局は、人に喜ばれるような良い経営はできません。
自分の信じる指導者や先輩達に、
誤摩化しがあるか、ないか…。
それをご自身で見つめてゆくことが必要です。
場合ごと礼儀さえかなっていれば、
真剣な質問は失礼ではないはず。
タブーはないはずだと思います。
威圧感や誤摩化しで、質問さえも出来ない空気が
あってはいけません。
今、貴方に不安があるのなら、
また、自信がないのなら、
どうしたら良いのか、
何をすべきかを、
正直に、真摯に、
自分の心に問うてゆく…。
手練手管で他者は騙せても、
自分の心には嘘はつけません。
苦しむのは自分自身なのです。
「先生」と人に頼られる意味を
噛み締める事が大切だと思います。
気持ちの良い人生を精一杯生きることは、
誰にとっても、とても重要な事ではないかと、
思います。
富士は晴れたり日本晴れ…。
今日も生かしていただきまして有難うございます。
私のやる事は、世の中には、
常識では無いかも知れません。
もう、いいかげん自分を偽って生きるのは
止めにしたらどうであろうと
言いたい気分です。
(冒頭写真は大阪の講座です。当記事とは、ほぼ無関係です)
国家資格??%高合格などと言って
受講生を募集している学校があります。。
しかし、
資格を得ても、痛みを取れないということから、
独立開業で一本立ち出来る方はほとんどなく、
大方は資格を持っただけで終わってしまったり、
どこぞの院での安給職ということが、
多くの場合の実態です。
国家資格ですから、3年、最低400万くらい
かかって、この実態です。
そんな、卒業生の実状を知らせずに、
生徒の募集しています。
こんな話を聞きました。
かつて高校を卒業した頃、療術の学校法人に
入学しようとしましたが、受験に失敗。
そうこうしているうちに、ご自身の卒業された
高校の校長先生に書いて頂いた推薦状では、
ダメな事が判ったようです。
お金を積んだり、しかるべき有力者の
推薦状などがなければ入学出来ない事実が
ある事を知り…、それをクリアして翌年は、
めでたく合格…!
施術学校に入学してみると、それは校内では、
当たり前の話だったといいます。
様々な苦労をして学んでも、また、資格を取っても、
不調者の痛みを取れなかったり、
なかなか望む結果が出せない…。
そして仕事にも就きにくい業界でもあったことに
後から気づく…。
職を得る事ができたとしても、ほとんどが安月給…。
運良く開業出来たとしても、
痛みを取れなかったり、望む結果が得られない
施術家達が何をするかといいますと、
いかに不調者を自分の顧客様(?)として
活かさず殺さず…、手練手管のテクニックや話術が
巧みになる。
そんなことでは、
不調者に対する、誠意がある
きちんとした伝達とはいえません。
施術家の先生達の会話では、
それも当然の事となっている…。
施術に自信がないから、療術界で流行する様々な
モノを取り入れる事になり…また散財。。
そうやって泣き続けた方々が、
やはり「人の役にたちたい。人の痛みをとりたい…」など
という思いを捨てきれず、私のもとにやってきて、
「やっと食えるようになった」などということが
普通にあります。
「彼氏を男にして下さい」と彼女に頼まれ…
その後、努力が実り、稼げるようになったので
無事結婚などという事もありました。
しかし、最近、全国をまわってみますと、
ソロバン勘定には長けていても、施術に対する
真摯さは、どこ吹く風となってしまい、
正直さに欠ける施術家が…狭い自己保存の思いに
駆られ、また、どうしようも出来ないシガラミに
とらわれてしまって、自身をただせない
という例を多く見聞きしました。
療術というものは、奥が深いですから、当初、
自分ではどうしようもない状態に出会う事は
よくある訳です。その時に、カッコをつけて、
つい、不正直なことを言ってしまう…。
自信がないなら、その事を誤摩化さずに、
不調者に伝えるというのが、プロとしての
誠意というものです。
誤摩化しても、何の誠意にもなりません。
でも、プロたるもの「解決法はありません」では
話になりませんから、そういった先生の為に、
私は電話による遠隔指導というものを行って来ました。
現場は生々しい状況がある訳ですから、
何らかの記述物やデータをひもといても、
満足いく対応が出来る訳ではないという事は、
現場の先生には、当然の事なのです。
本当は、療術に自信がないにもかかわらず、
自信満々のふりをして、
後進達を引っ張るリーダーがいる…。
それがあまりにも多い事に驚きました。
盲目のリーダー達が、何も知らない新人を
引っ張って行ってしまう事が何と多い事か…。
そんなことを続けていると、いくら頑張っていても
被害者を量産するシステムへと堕してしまうのです。
本来、真剣さや誠実さが求められる職業ですから、
通常より、驕っていてはなりません。
「赤信号、皆で渡れば怖くない…」の精神は
とても恐ろしい事です。
万事、心が創ってゆきます。
おかしな精神で、物事を進めてゆくと、
最後はとんでもない事になってゆく事が
ほとんどです。
一時的に隆盛をほこっても、驕った「個」が、
最後、どうなってゆくかは、
歴史が示しています。
いつも自分の心を見つめ、
襟元をただしておく事が大切なのです。
正直に、そういった事を吐露して下さる
真摯な先生が何人かいました。
苦しんでおられたようですが、
正直さは、最後には救いになります。
不調者は必死で…、命がけで頼ってくるのです。
そんな方々を真摯に受け止めてゆくのが療術家です。
鵜匠のようなシステムの上に立ったと思っても、
そんな循環の中にいたら、、
自分も奴隷ガシラなんだということに
気づけなくなっている。
まともな学びが出来ていなかったら、
他に良い方法を知らないから、
結局は、人に喜ばれるような良い経営はできません。
自分の信じる指導者や先輩達に、
誤摩化しがあるか、ないか…。
それをご自身で見つめてゆくことが必要です。
場合ごと礼儀さえかなっていれば、
真剣な質問は失礼ではないはず。
タブーはないはずだと思います。
威圧感や誤摩化しで、質問さえも出来ない空気が
あってはいけません。
今、貴方に不安があるのなら、
また、自信がないのなら、
どうしたら良いのか、
何をすべきかを、
正直に、真摯に、
自分の心に問うてゆく…。
手練手管で他者は騙せても、
自分の心には嘘はつけません。
苦しむのは自分自身なのです。
「先生」と人に頼られる意味を
噛み締める事が大切だと思います。
気持ちの良い人生を精一杯生きることは、
誰にとっても、とても重要な事ではないかと、
思います。
富士は晴れたり日本晴れ…。
今日も生かしていただきまして有難うございます。
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自己紹介
村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐
ビジョン:
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
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