所感の記事一覧: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く
生まれ赤子の こころ に帰ろう。
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年頭のご挨拶
新年あけましておめでとうございます。
2010年の年頭にあたりまして、
ひとこと、ご挨拶申し上げます。
2010年の年頭にあたりまして、
ひとこと、ご挨拶申し上げます。
今年も“和する”という意味を噛締めながら、
楽しく展開しようと思っています。
どうぞ、宜しくお願いいたします。
さて、昨年のことですが、
この療法を、色々な産業の分野の方に
施術を受けて頂きまして
「これは整体?」と、よく云われました。
体験時に、ふと、こぼされる言葉ですが、
私はこの言葉を非常にポジティブなものとして
受け取っています。
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変革の年の締めくくりに
本年は、私にとりまして、大きな変革の年でありました。
当初多難ではあったものの、お陰さまをもちまして無事開塾。
参加頂いた多くの門人達と、新たな気持ちで
この道を進んでゆくことが出来ました。
こうやって無事に、集いの場、学びの場を持てましたことは、
何よりの幸せです。
当初多難ではあったものの、お陰さまをもちまして無事開塾。
参加頂いた多くの門人達と、新たな気持ちで
この道を進んでゆくことが出来ました。
こうやって無事に、集いの場、学びの場を持てましたことは、
何よりの幸せです。
ほぼ無農薬で作ったお米が来ました
毎日食べるお米を
無農薬でいただけないかと
思っていたところ、
叔母の知り合いから
完全とはいかないのだけれど、
ほぼそれに近いものがある
という情報を貰い、
早速、新米60㎏玄米で買いました。
思っていたところ、
叔母の知り合いから
完全とはいかないのだけれど、
ほぼそれに近いものがある
という情報を貰い、
早速、新米60㎏玄米で買いました。
この道に関して、今日思う事2
昨日は、初心忘れるべからず、という事を
書かせていただきました。
初心というものは、たとえ似たところがあったとしても
各々違っていて当然だと思います。
だからこそ、素晴らしいともいえましょう。
私の整体塾の特長として、日ごろ門人達に伝えているのは、
次のようなことです。日常の運営目標でもあります。
・心と身体、自然の理を学び調和を重んじる
・開業指導
・開業のテリートリー制(安定収入の確保)
・共存共栄の精神
・心通う楽しい同胞の和
・低料金で受講可能
・綺麗事はいわない
・プロとして結果を出すこと
・理屈を並べるよりも実証をする
次のようなことです。日常の運営目標でもあります。
・心と身体、自然の理を学び調和を重んじる
・開業指導
・開業のテリートリー制(安定収入の確保)
・共存共栄の精神
・心通う楽しい同胞の和
・低料金で受講可能
・綺麗事はいわない
・プロとして結果を出すこと
・理屈を並べるよりも実証をする
この道に関して、今日思う事1
整体師・セラピストは、カラダやココロの痛みをケアする仕事です。
長年のカラダの痛みがとれた時やココロの悩みが改善された時など
「ありがとう!」と心から感謝されます。
時には涙を流して喜んでくださる事も多いのです。
お金をいただきながら、これだけ感謝される仕事も
そうそうないのではないでしょうか。
長年のカラダの痛みがとれた時やココロの悩みが改善された時など
「ありがとう!」と心から感謝されます。
時には涙を流して喜んでくださる事も多いのです。
お金をいただきながら、これだけ感謝される仕事も
そうそうないのではないでしょうか。
ミカンの効用
昨日からの続きです。
みかん風呂にしてから、浴槽をお掃除したかのように
きれいになっています。
柑橘類の皮にある油(オレンジピールオイル)は
汚れを落とす効果があるという事です。
かつて落書きが汚くて手の施しようがないと
有名だった米国NYの地下鉄も、
今や柑橘系のコーティング剤で
きれいになっているということです。
本日は、おいしいだけでなく
健康維持にも役立つ
みかんの効能を載せました。
ご参考までにどうぞ。
有名だった米国NYの地下鉄も、
今や柑橘系のコーティング剤で
きれいになっているということです。
本日は、おいしいだけでなく
健康維持にも役立つ
みかんの効能を載せました。
ご参考までにどうぞ。
みかん大好き!
子供の頃からみかん大好きの私は、
家にいる時には必ず一日に3つ以上、
ミカンを食べてしまいます。
先日、体験会で寄せていただい折、
興味深い話をお聞きいたしました。
四つのテスト
最近はイベントの報告が重なり、
掲載するタイミングを逸していた記事を、
今日は、ご紹介したいと思います。
以前、長浜のイベントの報告を
させて頂きましたが、
その翌日、滋賀県の彦根で
吉祥会の研修会を行いました。
駅近くのホテルから会場までの間に、
彦根城がありました。
写真は、その時の晩秋の彦根城です。
会場まで散歩がてら歩いてみましたが、
さむかった…(笑)
掲載するタイミングを逸していた記事を、
今日は、ご紹介したいと思います。
以前、長浜のイベントの報告を
させて頂きましたが、
その翌日、滋賀県の彦根で
吉祥会の研修会を行いました。
駅近くのホテルから会場までの間に、
彦根城がありました。
写真は、その時の晩秋の彦根城です。
会場まで散歩がてら歩いてみましたが、
さむかった…(笑)
喜びが人生を押し進める
公私において、時にマジメさがアダにあることだってあります。
要するにアタマが堅すぎて一つの考えに固執してしまったり…、
アイデアが豊富に出なかったり…、
日々の考えを創造的な行動に移せない人があまりに多いのです。
そのような方が整体に転職しても、上手くいくはずがありません。
多くの方は、この悪いスパイラルにはまっています。
忘年会の夜に
本日は我々にとって、特別な日です。
開塾初めての忘年会。
日本全国から、仲間達が集います。
皆、とても楽しい時間を過ごしていると思います。
(詳しい報告は、また致します)
しかし、我々の道は楽しいばかりではありません。
この平和な時代を築いてくれた先人達がいます。
一人一人の志を広く社会に向けてゆきたい…
開塾初めての忘年会。
日本全国から、仲間達が集います。
皆、とても楽しい時間を過ごしていると思います。
(詳しい報告は、また致します)
しかし、我々の道は楽しいばかりではありません。
この平和な時代を築いてくれた先人達がいます。
一人一人の志を広く社会に向けてゆきたい…
今の塾を思う
私のブログをご覧くださり、
有難うございます。
このブログには裏がありません。
もう、そのまんま書いています。
表層的な儀礼も無ければ
お世辞もありません。
有難うございます。
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もう、そのまんま書いています。
表層的な儀礼も無ければ
お世辞もありません。
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自己紹介
村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐
ビジョン:
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
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