「3丁目の夕日の頃(2)」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く
生まれ赤子の こころ に帰ろう。
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3丁目の夕日の頃(2)
私が子供の頃は、ホタルが家の前でも見れました。
小さな川があり、世間話をしながら、
孫を背中に背負いながら、洗濯板と石鹸で洗濯をする、
壮年の女性達がいたという光景を覚えています。
お婆ちゃんが、孫の世話をして両親は共働きという家庭でした。
お婆ちゃんという存在について、「お婆ちゃん仮説」というものがあります。
少しながくなりますが、たいへん興味深いですので以下をお読みください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〈07年6月17日日経新聞サイエンス欄〉
人類繁栄のカギは「お婆ちゃん」。
進化生物学の世界で「お婆ちゃん仮説」が注目されているらしい。
人生経験豊富なお婆ちゃんが、孫を教育したり食料を与えたりして
子孫の繁栄に貢献しているのではないか、という説だ。
一般に「哺乳類の寿命は繁殖能力を失う時期とほぼ一致する」らしく、
生物としては納得いく話だが、ヒトは例外。繁殖能力を失っても生き続け、
子育てならぬ「孫育て」をして一族繁栄、というわけだ。
つまり「お母さん」は子供を何人か産めるが、
子供の世話にかかりきりになると、実際にはそうもゆかない。
ましてや今の時代、女性も働いているからなおさら。
ところが「お婆ちゃん」が子育てを手伝ってくれると、安心して産める。
お婆ちゃんが、ご飯を作ったり、言葉を教えたり、子供の世話をしてくれるからだ。
なんでも約3万年前、女性の寿命が延びだしてから、
人類の人口は急増を始めたそうだ。
現在でもアフリカの狩猟民族では「お婆ちゃん」がいると
母親は子供の数も多く健康状態もいいとか。
フィンランドとカナダの農村でも、長生きした女性ほど孫の数が多い。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この仮説は、米国ユタ大学教授クリスティン・ホーク氏らが提唱したものです。
子供を生まなくなったお婆ちゃんという存在は、
生物全体を見ると極めて少数派で、
ヒトと、一部のクジラや象にしか見られないんだそうです。
ヒトと遺伝子情報が約1%しか違わないチンパンジーのメスでも
閉経後3年程が寿命なのに、なんでヒトは長生きなのかというと
子孫へ貢献するためという仮説です。
動物学的な見方をすれば
『生殖機能を失った=生物学的には種にとって不要な存在』
…であるはずのお婆ちゃんが、
実は子供の子育てを手伝う(=孫の世話をする)ことで、
種の繁栄に寄与する役割を担っているのではないか、という理論です。
ヒトが一人前になるのに長い年月が必要です。
その時間の中を、子供達がお爺ちゃんやお婆ちゃんと
一緒に生きる事が出来るのは、
家族やコミュニティー全体にとって、
質実ともに豊かな事だったのです。
お爺ちゃんやお婆ちゃんの存在はとても大事です。
ヒトには、知識でなく知恵が必要なのだということでしょう。
ところが今、
ご先祖から受け継いだ無形のもの(しつけ、礼儀、挨拶、知恵など)
を継承しにくい社会になってしまっています。
そこのところに、我が国の、これから先の危惧と不安を覚えます。
高齢化が進む社会だからこそ、
本当に大事にしなければならないのは、
知恵を授けてくれる人生の先輩方なのだと思います。
人が80年生きることは、つくづく凄い事だと思います。
経験と知恵を語り継ぐことが出来る、良い社会になりますように…。
今日も生かしていただきまして、ありがとうございます。
小さな川があり、世間話をしながら、
孫を背中に背負いながら、洗濯板と石鹸で洗濯をする、
壮年の女性達がいたという光景を覚えています。
お婆ちゃんが、孫の世話をして両親は共働きという家庭でした。
お婆ちゃんという存在について、「お婆ちゃん仮説」というものがあります。
少しながくなりますが、たいへん興味深いですので以下をお読みください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〈07年6月17日日経新聞サイエンス欄〉
人類繁栄のカギは「お婆ちゃん」。
進化生物学の世界で「お婆ちゃん仮説」が注目されているらしい。
人生経験豊富なお婆ちゃんが、孫を教育したり食料を与えたりして
子孫の繁栄に貢献しているのではないか、という説だ。
一般に「哺乳類の寿命は繁殖能力を失う時期とほぼ一致する」らしく、
生物としては納得いく話だが、ヒトは例外。繁殖能力を失っても生き続け、
子育てならぬ「孫育て」をして一族繁栄、というわけだ。
つまり「お母さん」は子供を何人か産めるが、
子供の世話にかかりきりになると、実際にはそうもゆかない。
ましてや今の時代、女性も働いているからなおさら。
ところが「お婆ちゃん」が子育てを手伝ってくれると、安心して産める。
お婆ちゃんが、ご飯を作ったり、言葉を教えたり、子供の世話をしてくれるからだ。
なんでも約3万年前、女性の寿命が延びだしてから、
人類の人口は急増を始めたそうだ。
現在でもアフリカの狩猟民族では「お婆ちゃん」がいると
母親は子供の数も多く健康状態もいいとか。
フィンランドとカナダの農村でも、長生きした女性ほど孫の数が多い。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この仮説は、米国ユタ大学教授クリスティン・ホーク氏らが提唱したものです。
子供を生まなくなったお婆ちゃんという存在は、
生物全体を見ると極めて少数派で、
ヒトと、一部のクジラや象にしか見られないんだそうです。
ヒトと遺伝子情報が約1%しか違わないチンパンジーのメスでも
閉経後3年程が寿命なのに、なんでヒトは長生きなのかというと
子孫へ貢献するためという仮説です。
動物学的な見方をすれば
『生殖機能を失った=生物学的には種にとって不要な存在』
…であるはずのお婆ちゃんが、
実は子供の子育てを手伝う(=孫の世話をする)ことで、
種の繁栄に寄与する役割を担っているのではないか、という理論です。
ヒトが一人前になるのに長い年月が必要です。
その時間の中を、子供達がお爺ちゃんやお婆ちゃんと
一緒に生きる事が出来るのは、
家族やコミュニティー全体にとって、
質実ともに豊かな事だったのです。
お爺ちゃんやお婆ちゃんの存在はとても大事です。
ヒトには、知識でなく知恵が必要なのだということでしょう。
ところが今、
ご先祖から受け継いだ無形のもの(しつけ、礼儀、挨拶、知恵など)
を継承しにくい社会になってしまっています。
そこのところに、我が国の、これから先の危惧と不安を覚えます。
高齢化が進む社会だからこそ、
本当に大事にしなければならないのは、
知恵を授けてくれる人生の先輩方なのだと思います。
人が80年生きることは、つくづく凄い事だと思います。
経験と知恵を語り継ぐことが出来る、良い社会になりますように…。
今日も生かしていただきまして、ありがとうございます。
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自己紹介
村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐
ビジョン:
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
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