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「自由とは…」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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自由とは…

先日テレビで、いまだ未開に住む原住民を紹介していました。
着るものや、家…。彼らの財産は、文明人の財産と較べたら
その比ではなく、まさに「無い」に等しい状態でした。
それでも彼らは、とても豊かで穏やかな表情をしていました。
彼らは天地の理に、素直に生きているだけなのでしょう。
男の仕事と女の仕事という別け方と、
家族や部族、村の決まりがあるだけです。
物を皆で分け合い、助け合って生きています。

今から約250年前、産業革命がイギリスで起こり、
それから白人中心の価値観…。
いわゆる弱肉強食の思想が、世界の趨勢を変えてゆきました。
帝国主義的な武力での支配から始まり、経済の支配へと形を変え
世界を席巻しました。

ここ数年、政治や経済の世界で言われていた
「新自由主義」なるものも、
結局は、その甘い言葉と裏腹に、
強者の為の、強者の理論でした。
それは、まるで目クラマシのような言葉でした。

その化けの皮がはがれるや否や、
今、社会の混乱は何たる事でしょうか。

我々にとっての健全な未来の姿が、
思い描ける状態でしょうか?!

多くの方が「うっかりしていた」
「こんなはずではなかった」などと
感じているのではないでしょうか。

「俺の人生は何だ?生活苦と戦うためだったのか…。」などと
葛藤されている方も多いでしょう。

物が豊にあるのに、心が満たされていない現実。

人を信ずる事さえも、昔と違う価値観になってしまいました。
たとえば「信用」「信頼」という言葉が、
今ほど軽々しく、空しく使われた時代がありましょうか?

あなたの中で「自由」とは、一体何の事をいうのでしょう。

今、社会を見てみると、
私たちが本来持っていなければならない
「自由な心」に、
いつのまにか仕組みや、組織が縛りを掛けています。
近くに居ても本音で語れない寂しい関係と、
子供だましの戦術が幅を利かせています。

政治、企業戦略…、
そして整体学校…! この業界までも
そのようになってしまっています。

人の心を踏みにじる政策や…、
自分の体なのに人のせいにする健康作りの押し売り…、
これらはあたり前ではありません。

それに気が付かない生き方をしていると、
調和という宇宙の目的から、どんどん遠ざかり
決して幸せにはなりません。

生きていくうえで大事なのは、頭の良し悪しではなく、
心の善し悪しのはずです。

この過ちは、本質であるところの
魂を大事にしていないところから
生じているといえます。

組織において、周囲の顔を伺っている人は、
いわば飼われた動物に等しい。
本当の意味で「自由な人」とは、
自己の魂の存ずるところで行動できる人を言うのです。

表層的に生活をエンジョイするだけで、
「人間を創る」事を怠ると、
「真の自由」がなんたることかを、忘れてしまいます。
皆様のに、本当の自由が訪れますように…。

私達は、未開人のように文明を手放す訳にはいきませんが、
一人一人が、心の持ち方によって、自らの意思で、
「自由」や「幸福」を…、
そして「健康」をつかんでいけるのです。

「自由」とは、自らに由(よ)るということです。
あなたの「本当の自由」の為に、強くあって欲しいと願います。

今日も私達を生かしたもう、この世界、
  そして宇宙という存在に感謝いたします。
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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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