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「時代を超え『公に生きる』という本懐を持つ」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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時代を超え『公に生きる』という本懐を持つ

「して貰える」「幸運が貰える」…と、
欲しい欲しい性根の受身人間ばかりが、
例え一千万人集まっても現実を変える力は出て来ません。

明治維新は、だいたい何人くらいでなし得たのか?
推定1万から1万5千人くらいだろうと言われているのをご存知でしたか。

日本の国を動かした原動力は、薩摩・長州藩と土佐の
下級武士出身の坂本竜馬たちです。
彼らの師とされるのが吉田松陰。
歴史に埋もれがちですが、その吉田松陰が、
大いに学び、参考にしたのが水戸学と言われています。
先日、京都の『我まんま』に泊めて頂いた時、
そのお家に代々伝わるがありました。
水戸学の師範・藤田東湖や、お弟子さんのものでした。
彼も又、下級武士からの取り立てでした。


彼らのように時代の先駆者となった主謀者の数が
1万人1万から1万5千人程度なのです。
この数字は、実際の兵隊たちも含めた数とされています。

当時のわが国の人口が3000万〜3200万人くらいとしても、
この数字で国を変えられるという事を証明したのです。
大政奉還や江戸城無血開城までもなしたのですから、
これは凄い事だと思います。

勿論、下級武士だけで時代を変えた訳ではありません。
維新は下級武士偏重で語られる事が多いですが、
有能な幕閣や指導者も居られました。
そういった方々が綾(あや)をなして時代を築いてゆかれた…。
国内で敵味方に分かれて戦った戊辰戦争まで含めて、
現在にも繋がる新しい時代への陣痛のようでもあり…、
本当に大変な時代だったと思います。


百数十年前ということは…、私達の祖父母が若かった頃には、
まだそういった時代を生き抜いて来られた方々が、
実際に生きておられた訳です。
私が生まれた年でさえ、明治維新から百年も経っていなかったのです。
考えようによっては、つい最近のとこと言えるかもしれません。

今と較べると、自由も娯楽も制限されている人生だった訳です。
いや、自分の命でさえどうなるのか判らないという
環境の人もいたと思います。

衣食住・衛生など、すべてにおいても
生活面で大変だったろと思います。

洗濯だって手です。
下着だって縫い物で手作りなのです。
情報だって頻繁に即座に入るわけではないのです。
結婚も誰とでも自由、というわけではないはずです。
スーパーマケットはありません。

すべて、今のほうが恵まれているのに、
あなたは何を不平や不満を言っているのでしょう。

さらに、何が欲しいのでしょう。

今、私たちがあの時代に突如現れたとして、生きていけるでしょうか?

人間の悩みが時代で変わるとは思いません。
生きている以上、様々な悩みは、基本的に同じだと思います。

その事を冷静に考えてみる時、
目に見える環境で人は幸せを感じるものではない、
という事がいえます。

アレがない、コレが欲しいといって、
欲ばかりかいていてはいけませんね。

いにしえの頃から、
生きている、生かされている存在の“私”を
周囲の環境から自然と学べた昔の方の方が、
はるかに幸せだったのではないでしょうか?

男子は「私」より「公」に生きる事を念頭に考えるべきで、
政治家や公務員だけが「公」を思って仕事をするのではなく、
どの仕事にあっても社会において行っている訳なのですから、
「公」に資することこそ、肝心だと思います。

「自分の今がいいのだから」と、日和見な態度だと、
やがて時代に淘汰されるのではないでしょうか。

小さな円を描いて満足するより、大きな円の、その一部分である弧になれ
宗教詩人 ブラウニング

ところで、当時だって、当然、病気はありましたし、
風邪やインフルエンザだって、、
むちうち症、ギックリ腰だってあったと思います。
どのように過ごしていたのでしょう?

また、考えてみたいと思います…。

先達あってこそ、今の我々の社会や、いのちがあるのです。
それを、より良いものにして、未来に繋いでゆくことは、
私たちの仕事です。

今日も生かして戴きましてありがとうございます。

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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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