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「タダでできる健康法.3<食事>」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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タダでできる健康法.3<食事>

ある先生から、お電話で、
「タダで出来る健康は施術の現場で役に立ちますね…」
と感想を伝えて頂きました。

「ありがとう!!」
お役に立ててもらえるなら、うれしい限りです。

ただ、これは私の個人的見解ですので、
すべてを鵜呑みにしないで下さい。
普通に考えてオカシイと思うことを述べたいだけです。

今日は、「食」です。
まず、一般に事実だけを書きます。

●私たちは主に食べ物から、身体を構成するの為の、主たる命をいただいています。
●江戸時代以前には、わが国では2食でしたし、一般人は粗食でした。
●食べ物を今のように保存できるようになったのは、冷蔵庫が出来てからです。

●今の文化になる前は、冬にスイカを食べたり、夏にみかんを食べる事もなく、
地球の反対の果物を食べる事もありませんでした。現代農業の恩恵ですが、
それが今では贅沢だとさえ、感じられない程になっています。

●日本では、年間の医療費が30兆円を越しています。
これくらい医療にお金を使っていても、病気が減る兆しがない。
逆に訳のわからない病気も多い。
日本の国家予算は一般会計で80兆円強。

医療費は、判っているだけで、30兆円。つまり…
オモテの国家予算(一般会計)の実に37%近くの金額が
国民の負担になっているということになります。
国家予算に関しては、特別会計の問題などありますが、
それに関してはネットで見つけたページ、
コチラコチラなどに詳しいです。

●環境の変化で、人参ひとつとっても、
栄養の成分が数十年前とに違いがあります。

●更に農薬や化学肥料をはじめ農法の問題、食品添加物の問題…。

●様々な角度から食の安全が言われています。

書き出せば、まだあるかもしれません。

そのような前提を捉えると…
「食えるものなら何でも良いのか?」
「3度の食事が本当に必要なのか?」
「これまでの医学や栄養学のあり方が、これでいいのか?」
という疑問が沸いてきます。
(ここで誤解のないように書きます、過去の記事でも触れましたが、
現代医学を前面否定はいたしません。施術家として逆に現代医学の
すばらしい点も理解できるのです。)

反面「そんな事を言っていたら、何を食べたらいいの…」
と言うご意見も出てくる事も理解出来ます。

ややこしくなるので、ここではざっくり書きます。
タダで出来る健康法「食」を考えた時に、
次の事が原則的に言えます。

季節ごとの旬のものを食べる事。
また、出来るだけ地元で取れたものを食べる事。
それは古いモノや、化学的環境で作られたモノより、
各々の地に適したイノチを育む為の生命力があるからです。
そして、その方が自然だからです。

腹八分にする事。
それが内臓にいいからです。

また、言葉が性格や生き方を左右する』と共に、
食も同じような事がいえる』ように思えてなりません。

とても大事な事ですから、感謝と良い思いの中で
食事をいただきたいですね。
笑って食事をいただいていると、健康状態だって良いわけです。

こんなにシンプルな、『タダで出来る健康法』はありませんから、
早速やってみてはいかがでしょう。

今日も生かしていただき、ありがとうございます。
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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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