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「ある侍との出会い〈今回の大阪にて〉」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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ある侍との出会い〈今回の大阪にて〉

IMG_5241-1.JPG昨日の記事の動画をご覧になり、
「何だろう?」と
思われた方が多かったと思います。

今回、大阪の実践技術コースの講座に、
日本殺陣道協会・総師範、菊地先生
不調を抱えた方と共に、訪問して下さいました。

菊地先生は、役者さんやタレントさん、
そして多くの殺陣師(たてし)をご指導され、
かつてご自身も舞台でご活躍なされた方です。

t_4036_1.jpg <菊地竜志・先生のプロフィール>
昭和12年生まれ。
俳優養成学校卒業後、旧日活撮影所、
日本テレビ専属タレントを経た後、
大内竜生氏(殺陣師)に師事し殺陣師となる。
40年間、約1万本を超える殺陣指導を行う。


最近指導した主な人達(順不同、敬称略)
香取慎吾、氷川きよし、モーニング娘、
ビートたけし、松平健、五木ひろし、森進一、
山川豊、伍代夏子、桂三枝、
海外では橋幸夫(ブラジル、ハワイ、上海)、
八代亜紀の殺陣指導及び出演。

豪華客船クルージングイベントにて公演(ハワイ~東京間)、
その他、全国各地の高校演劇部指導など多数。


菊地先生は、ただチャンバラを、
教えている訳ではありません。

殺陣を通して、礼儀・姿勢など重んじ、
人としての“道”を説いておられます。

日本殺陣道協会のホームページには
こうあります。

「殺陣(たて)」とは、
テレビや映画の時代劇などで、
おなじみのサムライアクション!

日本殺陣道協会の「殺陣道」は、
舞台・映画といった俳優を目指すだけの
殺陣指導だけではなく
武道の様に強さを目指す勝負事でもありません。

演技表現としての美しい型を習得しながら、
茶道・華道・日舞といった伝統ある文化の「
の部分をあわせて学び、
立ち居振る舞い・所作・礼儀作法・気配り・思いやり
といった姿勢心の鍛錬まで行う「」を学ぶ道場です。

昔懐かしいチャンバラを楽しみながら、
健康に、仲間作りにと、様々な楽しみ方があります。
男女・年齢・経験は問いません。
親子での参加も歓迎。

<俳優養成としての殺陣道>
俳優としての基礎訓練に加え、時代背景、
立ち居振る舞いをしっかりと習得。
日舞・茶道・華道・着付け・居合いといった
要素もあわせて学ぶことができます。

<指導者としての殺陣道>
将来、地域や学校で子供たちに、立ち居振る舞いや
気配り、表現といった心の指導から、肉体の鍛錬まで
含めて指導する指導者も目指すことができます。
(以上、引用)


IMG_5242-1.JPG 菊地先生とお話を
させていただきましたところ、
色々と意気投合する部分があり、
とても貴重な出会いになりました。
次の11月29日の日曜日に、滋賀県長浜で行います体験会は
菊地先生の門下のお弟子さん達とのコラボレーションを行います。
業界初の整体と殺陣の融合です。

脳を “  (かい) ” にすることは、
心身の健康や、幸福な人生にも繋がってゆくことです。
私は、アホになりきって、この業界に新しい価値観を、
様々に創り出してゆきたいと感じております。

いよいよ明日は、菊地先生の施術体験の動画を公開いたします。

こう、ご期待!

 す 富士は晴れたり日本晴れ…。
 今日も生かしていただきまして有難うございます。
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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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