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村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く ログ

村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く

生まれ赤子の こころ に帰ろう。

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慢性痛を考える<1>

私のブログは、患者さんから、
私の塾生以外にも、様々な療法の先生まで、
色々な方が御覧なって下さいますので、
この際、共に考えてみたいことがあります。

腰痛などの慢性の痛みは、
何が原因だと思いますか?
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一ヶ月の施術数、延べ510人

ae903d2b.JPG 今年、私が独立し、最初の講義の時、
わざわざ茨城県の田舎から、
大阪の研修所まで、ご自身の志を述べに、
ご夫妻で訪ねてこられた先生がいます。
 
私は自分自身の考えを述べ、
今までの経緯などを含め、
お互いのことを充分に話し合いました。
 
 
今回、その先生が、
私が指導してきました歴代の弟子の中でも、
最高の施術実数を上げられました。
 
10月施術…延べ510人
(稼働日数18.5日。一日平均27.6人。新規49人)
もちろん、施術家一人で上げられた数です。
 
その先生は、誤魔化しや曖昧な返答が嫌いな性格で、
そのこだわりが、この人数に繋がったのだと思います。
また私の塾では、旧来の教育機関とは教育法を変えました。

写真は七月、大阪の居酒屋 『大仏ころころ』 にて

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関西車座の会、ご報告

2dde8766.jpg

10月31日、大阪の車座の会を開催いたしました。
体験会では、総勢13名の不調者に施術をさせていただきました。

今回は、最近教えてきました立位や座位での施術を中心に、
受講生に施術の解説をすることにも重きを置かせていただき、
説明抜きのマジックショーのようなスピード施術は行いませんでした。

休憩をはさんで正味二時間程度のガチンコ施術体験会と、
その後、説明会を行いました。

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『アラジンで魔法の整体』と、大阪探索

b8e3357a.jpg 今回、大阪車座の会の為に前日から
大阪に入り大阪の街を散策しました。
スタッフの勧めで「アラジン」という
喫茶店に行き…。そこで落ちあった
大手新聞社の方に施術をしました。

写真をクリックすると、『アラジンで魔法の整体』を行う前の休息時、
気の力で、コーヒーの味の調整をしている写真が出てまいります。

人の手からは、気が出ていますから、「コーヒーよ、マイルドになれ」と念じ、
気を送ると、不思議とコーヒーの味が変わっています。
(感心のある方は、お試しください)

最近の技では、一部、気の活用もしています。
しかし、触らずに施術するような、
いわゆる気功をしているわけではありません。

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この業界で成功するには、ある方法があります。

この業界で成功するには、
ある方法があります。

1.見立て(診断力)
1.原因を判るように話すこと
1.相手の立場になること
1.自分の感情をコントロールすること
1.信念を持って生きること
1.因果の法則を知ること



これらをあまりにも知らなすぎる為に結果が出ないのです。

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古き良き日本を想いながら…

以前、当ブログで
アインシュタインの言葉をご紹介しました。

原爆に関わった狂気の科学者という印象を、
お持ちの読者もおられると思いますが、
その反面で、とても意味深い言葉を、
幾つか残しています。

アインシュタインの気持ちを、
訪日に傾けさせた人物がいます。

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北陸にて

 (昨日よりの続き)

特急の停車駅、高岡で下車し、そこから車で一時間弱。
福光という街に行きました。師範の先生の施術所で、
2名の不調者さんの施術を致しました。

3c46678d.jpg  その後、師範の先生の同級生の
 やっておられる居酒屋へ。
 聞くところによると「魚には自信あり」とのこと。

 私は、港町育ちですから、いくら素晴らしい
 海産物であっても多少のことでは驚きません。
 しかし…、北陸の海産物は、まさに絶品でした。
 お酒もまたおいしい。
 女性は、働き者で気立てが良い。
古い町並みにも味わいがありました。
こんな素晴らしい日本が、まだココにはあったんだ……
と、どこか懐かしいような感覚を、しみじみと感じる街でした。

宴の途中から、奥様も合流して、皆で様々な意見交換などをし、
とても楽しく、有益な時間を持つことが出来ました。
 

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北陸に向かう途中

c02d3f7b.jpg 吉祥会東京研修会を終えた翌日、
板橋で簡単な体験会をすませ、
その足で北陸へ向かいました。

その途中、車窓にうつる風景が懐かしい。


かつてまだ私があまり稼げなかった時、
必死の思いで、師のもとに通った時に見た風景。

今回、私にとっては、
熱心な弟子によばれて行く道でした。
どちらにしても、私にとっては、
それぞれが特別な旅だと感じます。

初心を思い出しながら、
様々な思い出がよみがえりました。

そして、他者とは違う未踏の道を
歩む自分が、今ここにいるのだなぁ、と
ゆったりとした旅情気分の中、
気を引き締めていました。
 

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吉祥会東京研修会のご報告

IMG_4108.jpg

上の写真は、クリックで拡大可

ご報告が遅くなりましたが、
先週、吉祥会東京研修会がありました。
久しぶりに顔を合わせる面々。
お互いに懐かしい顔の先生方。

白い恋人・ちんすこう  皆さんの向学心あふれる
 清々しい表情を見ていますと、
 それだけで、私もうれしくなりました…。

 今回は、
 北は北海道、南は沖縄から、
 先生方が集合いたしました。

 今回、吉祥会の研修会は初めてという
 先生方も複数おられ、
 気を使っていただいたのか、わざわざ地元からの
 手土産を持ってきていただいた先生も多く、
 北海道の『白い恋人』や沖縄の『ちんすこう』
 その他、各地の銘菓などを、
 皆でつまみながらの
 楽しく、また有益な学びの時間となりました。

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何があっても。「結構ですなぁ」<2>

昨日25日は、私の師の命日にちなんで、
師がしてくださった話「結構の源やん」の
ご紹介を致しました。

この話は、車座の会や講座などで、
お話させていただくことがあります。
お天気の話の例えではありますが、
万事、物事はとらえよう…、という話です。

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何があっても。「結構ですなぁ」<1>

今日25日は、 師が2年前に他界された日です。
 
師は、大阪岸和田で
癒しの仕事をされながら、
“人の道”
を説いて居られました。

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自己紹介

村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐

  
ビジョン:


整体で日本を変える!

普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!


私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。

実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。

いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。

治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。

そんな末、徐々に体調を回復。

それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。

そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。

お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。

しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。

私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。

常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。

心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。

かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。

平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。

累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。

これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。

その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。

このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。

これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。

整体で日本を変える!



思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。

「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。

各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。

あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。




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