「Press release no.009 〈訃報:村松幸彦先生、ご逝去〉」の詳細記事: 村松幸彦ブログ:堂々、富士の如く
生まれ赤子の こころ に帰ろう。
Press release no.009 〈訃報:村松幸彦先生、ご逝去〉
【村松整体塾・事務局より】去る1月15日、村松幸彦先生が永眠されました。
日取りの関係上、お通夜は19日、
ご葬儀は20日に、村松先生の地元・焼津にて
執り行わせて頂きました。
突然のこと故、ご報告が遅れ、各方面にご心配、
ご迷惑をおかけいたしました事を
深くお詫び申し上げます。
誰もが信じられない急逝であり、多くの皆様の言葉にならない
ご心痛の中ではありましたものの、葬儀等は粛々かつ無事に終了致しました。
お通夜や、ご葬儀にお越し下さった先生方や関係者の皆様、
また葬儀に際しましての、お花や弔電やお供え等をお送り頂いた方々、
生前の村松幸彦先生、及び、その活動に対しての、皆様のご厚情を
村松整体塾事務局といたしましても深謝致します。
ありがとうございました。
お疲れのご様子はやや見られましたものの、亡くなる前日までは、
お仕事をされていました。
村松先生が、普段から、おっしゃられていたように、
眠ったまま、畳の上での大往生であり、
とても安らかなお顔をされて旅立たれた事が、残された皆にとりまして、
せめてもの慰めとなりました。
葬儀とは、故人のご冥福を祈ると同時に、この世とあの世を峻別し、
生前の情につながる愛着などを断ち切り、現実と向きあい
未来に向けた けじめ をつける為の儀式だともいえましょう。
そのことの理解を深め、一方では些細な事で、お一人お一人が動揺しないように
努めてゆかなければなりません。
村松先生が残された教えや、創られてきたものを活かし、
避けてきたものが何であったか、どんな事であったかを意識し、
各々が十全に各々の人生における役割を、明るく生ききる事が、
村松先生に対する最高のはなむけになると信じております。
村松先生は、一門内外において、多くの方々慕われておられました。
この度の事態におきまして、事務局と致しましては、村松幸彦先生のご遺影代わりにご利用頂きたく考え、
セブンイレブンのネットプリント・サービスを利用いたしましたお写真の配布を致したいと思います。
必要な方は、セブンイレブンにてプリントして下さい。システム上、一週間の限定となってしまいます。
A4サイズ 入力番号〈 UTQ37CEN 〉
B5サイズ 入力番号〈 TQSBFJFS 〉です。
(ご要望により期間更新いたしました。2月10日まで、この番号でプリント可能です)
〈ネットプリントのやり方〉
・セブインレブンのコピー機でネットプリントというボタンを選びます。
・あとは、機械の指事に従って、プリントを進めていって下さい。
・データの番号をたずねられますので、前述の番号をご入力下さい。
・前述の番号で、A4サイズとA5サイズの2種類が選べます。 (以上、追記。2月3日、事務局)
写真は、当記事に掲載いたしますものと同様のものです。
これは村松先生が強いご関心を示されていた岡本天明氏を通じた『日月神示』発祥の地、
千葉県の麻賀多神社付近において、昨夏、遠隔指導をされていた時のものです。
村松先生のご遺志を鑑みた上で、この写真を事務局より選ばせて頂きました。
この遠隔指導のお写真が、門下生や、村松幸彦先生を慕われる方々にとりまして、
一番相応しい遺影になるのではないかと考えました次第です。
また、村松先生の急逝により、事情の説明もままならない中では御座いますが、今は一旦、
下記「つづきをよむ」以下に、塾内でのメーリングリストで流させて頂きました
事務局よりの私信をもちまして、説明の代わりとさせて下さい。
不測の事態により更新が遅れてはいますが、続報などは公式HPやメーリングリストなどで致します。
ご理解の程、何卒よろしく、お願いいたします。
村松整体塾・事務局
塾内公式メール『村松幸彦先生のご葬儀を終えて。事務局よりご報告とご挨拶』の続き
〈追記。私信〉より抜粋
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現在の先生方のご心中をお察し致しますと、少しでも早く、
ご報告、及び、ご挨拶のメールを出したいと思っていました。
しかし、このような事態だからこそ、慎重さが必要とされるという事があります。
ご親族や、一門の先生のご意見をはじめ、弁護士の先生、その他関係者一同にも
相談・点検した上でなければ、簡単なご挨拶でさえ憚られるという状態であったのです。
まだ葬儀から何日もたっていないという事情を鑑み、私どもの早計な判断で、
事を進めてしまったのでは、かえって皆様に、申し訳のしようがないという緊張感を持って
様々な作業を進め、親族や先生方等、多くの方々とお会いしていたという事情であったと
いうことをご理解下さい。
そういった中で感じましたのは、「さすが村松幸彦師匠の弟子達」という思いがする局面と、
(略)心を痛める局面とが御座いました。
(略)
今一度、村松先生から教わった事を思い起こして下さい。
村松先生の訃報が届いた後、今日までの間、ご自身が、何を感じ、どうふるまわれたか、
一門の先生方をはじめ、他者とどのように接したか、何を口にしたかということが、
ご自身を点検する為の、一つの正直な映し鏡だと思います。
村松先生の「整体で日本を変える」という指針に、同調・同意された先生方が、
当塾一門の先生方であると信じています。
あの素晴らしい村松先生は、残念ながら、今はもうおられないのです。
もう、村松先生の広い心に甘える事も出来ません。
これからは、一門の先生方お一人お一人が、村松幸彦先生の分身となって、
生きてゆかなければならない時代なのです。
入門まもない先生方におかれましては、不安も大きい事かと思います。
しかし、村松一門には、素晴らしい先輩の先生方が多いので、心置きなく
信頼にたる先輩方の胸に飛び込み、心中のご相談をして頂きたく思っています。
またご安心頂きたいと感じております。
村松先生は、お一人では抱えきれないような大きな抱負を持たれておられました。
当塾一門の先生方と共に生きる事を何よりも優先し、
先達として技術を指導し、
同じ釜の飯を食べ、同じテーブルを囲み酒を飲み、
人生の喜び悲しみを共にし、心を砕き、
時間を惜しまず全国を飛び回り、その間にも遠隔指導をされ、
欠かす事なくブログを書かれ、
全身全霊で、ご自身の役割に身を投じておられたのです。
そういった事を行うことによって、一門の先生方、お一人お一人と、
深く関わりたかったのです。
各々の技の事、仕事の事、一門の先生方のもとに来られる不調者のこと、
先生方の家族の事、心の持ち方…などなど、
普段も弟子達のことしか頭にない状態でした。
このことにおいては交流の機会の多い少ないという次元ではありませんでした。
村松先生が、なぜ急逝されたのか、理解に苦しむ方もおられたでしょうが、
身近で過ごしてきた私どもとしては、平易に、判り易くいえば、
無理がたたったという言葉で説明するしかありません。
(もしかして持病をお持ちであったとしても、私どもは気づきませんでした)
その一方で、語りきれない次元におきましては、お役割…、命をかけたお仕事を
ある意味では、全うされたと考えるしかありません。
実際には、一人の人間に出来る事を超えてしまったのです。
そのことによって、既に、一門の先生方の心の中深くに、村松先生は
お移りになられたのだと思います。そう信じたい気持ちです。
村松先生といえども、一人の人間ですから、生前は多少の矛盾もあったでしょうし、
我々に残された課題もありましょう。
その事を含めて天命を勤め上げる為に人生を使い切った指導者であったと信じ、
何ら疑いの心を持ち得ません。それが私どもの正直な気持ちです。
心躰法は、他の整体とは、まるで違うものだという確信をもっております。
その差は「心」です。心身は一如であり一体である…。
専門の違う私どもでさえ、この期になりまして、その事を更に実感致しております。
心躰法の技は、業界内で比べますと、比較的シンプルですが、
「心」なしでは意味をなさない事が実感出来ます。
私どもと致しましても、一門の先生方と専門性は違いますものの、
心躰法の同じ道を歩む者として、今後の事態の運びにあたりたいと考えております。
(略。以下、今後の状況対応に関しての記述)
出来る限りの努力を致したい所存です。
何卒、よろしくお願い致します。
村松先生のご冥福を祈り致します。
村松整体塾・事務局
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以上
塾内公式メール『村松幸彦先生のご葬儀を終えて。事務局よりご報告とご挨拶』の続き
〈追記。私信〉より抜粋
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
村松幸彦先生のご縁により多くの方々が出会い、様々な事を学び、
豊かになり、勇気づけられたことと思います。
そういった事すべてが、より一層、実りあるものになりますよう
願ってやみません。
すべてに感謝いたします。
村松整体塾・事務局・Press release no.009(了)
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自己紹介
村松幸彦
HP:
性別:
男性
職業:
整体師・指導者
趣味:
水泳。それを発端に「人を育てる事」が生き甲斐
ビジョン:
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
整体で日本を変える!
普遍性に基づく この技術は、限られた者が、私(ワタクシ)するものではない! 一人でも多くの方々に、この素晴らしい技術と出会って頂けるよう、その機会を作りたい!
私は若い時に水泳選手をしておりました。その後、職業コーチとして人を育くみ、可能性を伸ばす事に従事してきました。しかし、激務により椎間板ヘルニアを患ってしまい、激痛に七転八倒。現役選手からは退いていましたが、現場でスポーツに関わる者としては致命傷でした。
実はその数年前、事故による不運で、父は実家を手放なしておりました。私は狭いアパート暮らしをしながら、暗澹とした気持を撥ね退けるように頑張り続け、やっとの思いで自分の人生を軌道に乗せつつあったのですが…。そんな矢先の凋落。「若くして、こんな病気になってしまうなんて…」と我が運命を悔やみながら、それまでの夢を断念せざるを得ませんでした。一年間程、一般外科に通院しましたが、病状は回復しませんでした。当時、私なりに、様々な責任がかかる一方で、一寸先は真っ暗闇という気持ちでした。
いよいよ手術をしなければいけないと迷っていたのですが、周囲の助言を聞いて療法を切り替えました。各種療術、鍼灸など東洋医学、カイロプラクティックなど「いい先生がいる」と聞いては、たとえ遠方や県外であっても、良い治療院を求めて転々としました。
治療を進めながら、私は「人生、こんなことで落ち込んでいてはダメだ。又、様々な自分の不運を他人のせいにしてはいけない」と、考えを転換。更に「身体と心は、ひとつのつながったものなのだ」という感覚を、体験的に持ちはじめました。最終的には、それまでは持ち得なかった 人生における様々な別の視点を与えてくれた“気づき”の為の機会として、自分の「病」にさえも感謝する事が出来る様になってゆきました。他者を恨むではなく、自分の気持に責任を持って絶対積極の道を選ばなければ、と考え、ささやかながらマイホームを建てるという自らへの挑戦を致しました。「人生、明るい方を見よう」と。
そんな末、徐々に体調を回復。
それに前後して、施術療法における 精神的な師 とお呼びするに相応しい方とも出会いがありました。今は亡き その恩師は、大変な力を持っていた方ですが「私の療法は自分一代限りのもの」と言われ、直接的な後継者を作られませんでした。しかし、ご縁あって、師より薫陶を受けることが出来たことは、何ものにも代え難い経験となりました。
そのようにして整体術を中心に様々な施術療法で体調を回復し、心持ちの大切さに気づいた喜びと感動が志に繋がり、後日、自らも整体術(当初は揉み系)を学び、自分の治療院を開院するにいたりました。
お陰さまで、私の治療院は最初からうまくゆき、四ヶ月目で、一ヶ月に百人以上の来院者が来られ、その後も安定して来院者は増える一方でした。
しかし途中、当時の施術法は限界にぶつかり、自分の身体も、施術結果も限界に…。プロとして思い悩んでいた頃、自然形体療法と出会い転向。師の下で研鑽を深め、独立後それを元に技を進化させ、多くの問題を解決してゆきました。
私の治療院は順調で、何ら問題はなかったのですが、胸中の志からすると、自分の治療院の成功だけでは満足出来なかったのです。
常々、私の得た療法を広めたい、多くの方々と、この技と心を分かち合いたいと思っておりました。またプロとして活躍していただく為には、治療院運営方法の伝授も大切な要素だと考えました。
心 思いて学ばざれば即ち暗し、学びて思わざるは即ち危うし。
かつて共に学んだ後輩をフォローする形で【日本回復整体学院】を設立。副学院長として、学院の運営以上に、主として施術の実技指導、及び治療院運営法指導の役割を担いました。
平成21年3月、当初の志を全うする意志を持って学院より独立。
累加の教え子達からは「従来なかなか食うに困る業界と言われていたが、この技術によって、人を癒し、成果を上げ、人並み以上の治療院をまかなう事が出来るようになった」と言われる事が多いのは幸いです。
これまでの時代、それで良かったのかもしれません。しかし、私は、身体不調や人生の軋轢がもたらす他者の「痛み」に関わる者として、教え子の皆さんには、技術だけではなく、人の「心」を鑑みることを忘れずにいて欲しいと望みます。治療の本質、そして生まれて来たことの意味の本質は、そこに有るのですから。「心」を忘れた治療は、換骨奪胎、仏作って魂入れず。
その一方で、太陽は誰のもとにも輝く。
このご縁が広がり、朗らかな各々の人生を生きて頂きたい。そしてその際、この太陽のような暖かさに気づかない方、不調者さま達には、その事を全身全霊をもって伝えて頂きたいと思います。治療というのはそういうものなのです。それがこの技を授かった者の使命だと思っています。
これまでの機会では、技術においても、心においても、まだまだ皆さんに、十全には伝えきっておりません。出来るだけ多くの方々に、この技と心を伝えたい。それを行ってゆく事が私の使命だと考えております。
整体で日本を変える!
思えば、かの
万世の為に太平を開かんと欲す、という言葉をもって、日本は、信じられぬ程に大きく変わり、その想いに違わぬ発展をしてまいりました。時代は、たえず変わるものです。人が求めるもの、時代の意識、物事の価値さえもが移り変わって往きます。苦難をしのいだあかつきに、ひとつの大業が成されると、その時点からでしか見えない視点が生じます。そして、大きな志とは、時代を超え、尚も貫かれるにたるものなのです。
「万世」とは、単に “現在、広く世にあまねく” のみならず、未来の世代はもちろんの事、過去までをもさし含む言葉ではないかと、私は察します。こころざし次第で、不思議な程に、過去の物事の意味でさえも変わってゆく。今という激動の時代、ご縁のある方々の安寧かつ希望あふれる未来を望むにあたり、初心を忘れず、意新たに。
各々に与えられた「時」「機会」「出会い」の意味を問い、それに感謝。
あいまみえぬ時代をも含めて、技や心の師、友、後進達と共に、この想いを分ち合いたい。
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